一番の問題は、「本人が社会生活に不安を感じているか。人間関係につまずいているか。人とのコミュニケーションで困っていることはあるか。」ということだ。
 息子に関しては、今の時点で、問題はない。だから、これで良いじゃないか。
 例えば、学校生活の中で、息子が何か辛いことがあったら、低学年の今は話してくれる。自分の気持ちを表現できるようになっているので、不安を感じているかなど率直に話し合う環境は整っていると思う。つまり、風通しの良い家庭環境が、とても大切ということである。
 だけどね、そういう名前の障害があろうと、なかろうと、子供を目の前にした親の対応は大切でしょ。幼児期特有の、強く出る当人の気質に対して、無頓着な親なら、どんな子供であっても、その気質は、悪循環になる可能性が出てきてしまう。つまり、本には障害と書いてある、当人や親が「欠点」だと思いこんでしまっている部分を、直そうとして、注意し過ぎたり、イライラしたりが、本人にとっては良くない。否定されている、受け止めてもらえないという思いを強くしてしまうのだ。ただ、本を読んで、余計に気にする人は多いだろうと思う。障害と個性とは違うとし、障害は障害として、その人が暮らしやすいよう、生きやすい社会にするよう、周りが気をつけて環境を整えるべきだとの記述があり、そこは納得できるが、そこの線引きは曖昧だ。
 見る人が見ればわかるのか?でも、本にそう書いてある以上、素人は、本に書いてあることでしか参考にできない。不安をあおられている人もとても多い。皆が過敏になっている。夫の言う「ただ好きなんじゃないの?」や個性と、障害と、その差は何か。
 専門家にみてもらいたいと思う親は多い。でも、目の前の子供を見て、親が「大丈夫」と思えたらそれで良いのではないだろうか。親に、その覚悟ができているかどうかは、とても大きく影響すると思う。そういう名前がつくにしても、社会にある程度適応しているのなら、みてもらって「その気がありますね」と言われたところで、じゃあどうしろと言うのか。私なら、おそらく、今のままの対応を続けるだろう。だって、私にはこれが精一杯だ。そもそも、そういうのがまったくない子供って、むしろ少数派だという気がするし、それが強く出るか弱く出るか、社会生活に影響があるかないかなのだ。
 今の息子は、特に周りにひどい迷惑をかけることもなく、不自由を感じることなく、自分のできること、できないことを受け止めているし、それなりの人間関係を築き、社会生活を送っている。親が「大変だな」と思うようなことやイライラすることもがあれば、時には説得や、クドクドとした理屈も必要だ。しかし、もしも、子供自身の問題なのに感情的になってしまうとしたら、それは親が、親の問題と混同してしまっているからだ。
 「発達障害」には、事細かに色々分類が出ている。自分の子供にその要素を見つけて、必要以上に怯える親も多い。そういった部分を直そうと躍起になろうとする親も多い。しかし、「直す」ことに躍起にならず、その子供が理解しやすいよう、環境を整えれば良い。ある部分に関しては、他の子より時間はかかるかもしれないが、いつかは習慣づき、身につくと、否定せずに根気良く接することが大事なのではないだろうか。
 そういったことをふまえて、あえて、私は個性と考える。知識は必要だが、気にしすぎると、親は追いつめられる。この症状はどうのこうの、と直し、しつけることに躍起になるより、これが我が子なのだと受け入れて、その子のペースで成長してもらうような、心の余裕の方が必要だ。それには、周りの支えが欠かせないことも書きくわえておきたい。