そうなんです、「ただ好き」と、本に書かれてある障害との差はなんなのだ。ただ好きなことは、その傾向が強かったら、それだけで障害に結びつくのか。確かに、息子の数字への執着は異常じゃないかと思うほどに強い。数字が書いてあるとまず間違いなく気になる。スーパーマーケットに行くと、冷蔵庫や冷凍庫の温度が気になる。図鑑に書いてある物も、その物自体に対してではなく、長さや重さ、数字にまつわることに興味を持って、あれこれと細かく私にクイズを出す。私も覚えないから、何回聞かれても答えられないんだけど(笑)。計算に関しては、すごく興味を持つ時点で、「発達障害ではない者」との差があるのかもしれないが、興味を持っているのがわかって質問してくるから、つきあい良く、色々からくりを教えているということも関係していると思う。教えてやると、好きなことだから覚える。
 それを執着と呼べばそうなる。息子のは何なのだろう。本の説明を読んでいるだけだと、発達障害だからか?ということになってしまう。
 人懐こいのも相変わらずだが、相手の気持ちを考えたり想像したりはしているようで、決して無神経ではない。いわゆる「空気が読めない」ということもない。時々カチンとくる物の言い方をするが、それはまだ言葉を知らないだけなので、その都度話す。でも、何もかもに「空気を読み過ぎ」て、人間関係で委縮しているような集団もいやだと思う。
 ちなみに、まったく当てはまらない部分も多い。人懐こく、よく喋ると書いたが、相手の気持ちは想像できるし、比喩表現に関して言葉通り受け取ることはない。ことわざなんかの例えを知らないと、疑問となって聞いてくるが、おかしな受け取り方をするなあと感じたことはない。集団でいても、おかしな発言をすることもないし、飛びぬけてのんびり屋だが、先を読んではいるらしく、突飛な行動をしたり、相手を傷つけたりするようなことを平気で言ったりはしない。感覚に関しても、症状としてはまったくあてはまらない。嗅覚、触覚、視覚、などで「極端でおかしいな」と違和感を覚えたことはない。
 でも、その症状の典型とされるところも幾つかまだ残っている。新しいことに関しては臆病で苦手。できるだけの言い訳を考えて避けようとする。そうですね、理屈っぽいところも、その症状の典型だと書いてあります。
 しかし、前回も書いたように、少しずつ幼児期との変化はある。
 周りの、幼児期の子供を見てみても、その症状のいくつかは当てはまっている子供は多い。あくまでも「一般的に」なんだけど、特に男の子の方が多い。「表にあらわれている子が多い」という書き方の方が良いかな。一つも当てはまらない子を探す方が難しいくらいだ。でも親が当てはまる症状のうちのどれかを「扱いにくい」と考えているとするなら、その中の多くの親が、本に書いてあることを気にすると思う。実際に、こういう勉強をしている私に、たくさんの親が不安を感じて相談をしてくる。幾つか当てはまっているから、その症状の障害なのか?幾つか当てはまっていないから違うのか?専門家に見せないとわからないのか?と。私にも痛いほどその気持ちがわかる。
 息子の幼児期、多くの症状が当てはまったと感じることが、成長するにつれて、少しずつやわらいでいる。でも、専門書を見ると「幼児期にこういう症状があった子供」として例に出ているから、過去のことなのにやっぱり気になる。
 色々自問自答してみて、やっと最初の言葉です。
 「もう良いじゃないか。」目の前の息子を見ていてそう思うのだ。