では、最近言われている「発達」障害というのは、私たちにとって何なのだろう。
 身体に障害のある人と違うのは、目に見える明らかな不自由さがないことである。身体が思うように動かない、というようには見えない。普通に社会生活を送っている、ように見える。なのに、うまくいかないことが多い。今書いた二つの例だけでも、発達障害に当てはまる大人、子供たちは違う。身体が思うように動かない。「ようには見えない」のは、客観的に見える部分であって、当人たちは自分の思うように動かないことに対して苦しんでいる。普通に社会生活を送っている「ように見える」のも、実は大変な緊張やストレスを強いられて何とか生き延びていると言っても大袈裟ではない位に苦労がある。なので、周りから見たら、突然の感情の爆発に見えることでも、当人たちには紆余曲折、様々な葛藤があった上での爆発なのだ。
 専門家にしたら、明らかにそういった発達障害のある子供たちへの対応を、間違ったものにしてくれるな、といったところだろう。それは理解しているし、そういった対応に、かなり画期的なものが多く、対応に気をつけると、スムースに物事が運ぶようになったり、その大人や子供も苦しむことが減ったりするそうだ。その解説は細やかでわかりやすく、こういったことで、その人との関係や、その人の生活が苦悩に満ちたものでなくなるなら、大いに参考にし、協力するべきだと思う。そこはとても大事なポイントだ。本来なら、小学校や中学校になっても、もっと学校全体で取り組むべき問題であり、常に専門家を何人か学校に置いておくくらい、学校も先生も協力的であるべきで、子供たちも周りの親たちも、その知識がある程度必要と思われる。それが社会全体への理解につながっていくことができるのに、今は、まだまだその言葉が一人歩きをしていることが多く、積極的にとりくむ意欲的な先生もいるだろうが、私が知っている限り、小学生以上の先生で、なかなかそのような余裕はなさそうだ。
 そして何よりも、私が本を読んで感じたことは、それだけではない。
 その色々な発達障害についての症状が気になる部分がある。
 幾つか種類のある中から、ある症状についての例の多くが、息子の幼児期に当てはまる。これについての言及が、私にとっては、とても不足している。しっかりと研究しながら、少しずつ色々なことがわかってきて、学説を唱えていっている方々に、とても生意気なことを言わせてもらうが、これじゃあ情報が足りない!というのが、私の感想だ。
 「じゃあ自分で研究しろよ。今の研究、脳科学では、ここまでわかっただけでもスゴイんだぞ。」という言葉が自分の頭の中からでさえ聞こえてきます。すみません。私は、そこにさえ至りません。情報をもらうばっかりで、自分から勉強しようとしないのはズルイです。現段階で、私のできるのは、本を読んで情報を集めるだけです。そんな私が「これじゃあまだ情報不足だ!」と声をあげているだけなのは、簡単だ。
 でも、そんな今の私の立場から、あえて言わせてもらいたい。
 今、わかっている情報を、本によって、或いはインターネットで提供してくれるのは、とてもありがたい。隠されるよりも、もちろんずっと良い。わかっている範囲内で発表してもらえるのは大事なことだ。ただ、その中にもっともっと細やかな気配りをお願いしたい。
 否定的な書き方だと批判を受けそうだが、「ここまでわかっている」ではなく「ここまでしかわかっていない」という記述をお願いしたい。それが母親たちの切実な願いだ。