その土地に住む上で、必ず欠かせないのが四季の変化である。
 ニュージャージーの四季は、特に子供の頃好きだった。春は暖かく夏はカッと暑い。湿度はさほど高くない。秋は木々がオレンジ色に染まり、冬には雪が降り積もる。
 宝塚の春は2月にそれを告げる。梅が咲き始め、天気の良い日は、そろそろ外でのんびりすることもできる。気分が滅入るような梅雨には、大雨が度々降り、早く終わらないかなと願いながら、終わってしまうと、辛いくらいに暑い夏がやってくる。じっとしていても、膝の裏からポタポタ汗が流れてくる。あまりの暑さに畳で横になっていると、いつの間にか暑さに疲れて寝ていることがある。残暑も長く、9月にもまだまだ厳しい暑さを感じるが、その後に来る長い秋は大好きだ。キンモクセイの香りがあちこちでして、夕方、学校や職場から帰る頃には、肌寒くて上着が必要になってくる頃。オシャレも楽しめる。
 そんな風に、その土地その土地の文化を左右するほど、四季はそこの土地の特徴や人を表す。
 初めて札幌に暮らした年、私は気候のせいもあって、寝込んでばかりいた。元々身体が丈夫でない私。慣れない土地。引越の疲れ。様々な体のストレスを抱えて、月の半分は、ベッドの上で寝ていたのではないだろうか。まあ、原因のほとんどが気温の変動ですね。そういった身体面でのストレスがかかると、誰だって風邪をひきやすくもなるし、自律神経のコントロールもなかなか大変になる。免疫力も落ちてくるのも当然だろう。
 札幌に着いたのは三月下旬。そろそろ春がくる、という私の気持ちと身体の準備を裏切って、札幌の春はなかなかやってこない。
 だって、三月って言ったって、まだ雪が残っていたんだもん。ほどなくとけたって、四月でも、たまには降る。
 「えぇっ。雪降ってるよ。今、四月だよ?!」
 夫に何度訴えた言葉だろう。
 四月と言えば、入学式。桜の季節!
 ……これも札幌では通用しない。北海道のほとんどの地域で通用しない。ゴールデンウィークも終わる頃に、札幌もやっと桜が開花だとかなんだとかもたついたことを言っている。そしてその頃に忘れていた梅も咲く。
 「だからあ。梅は二月だってば。」
 これも最初の数年は違和感でいっぱいだった。
 そんな調子の札幌だから、五月になると、花という花が次から次へと咲き乱れる。最初はそれまで暖かくなるのを待たなければならない、ということが辛くて、また、それまでの季節感がガランガランと音を立てて崩れ去っていくのを感じて、とても好きになれなかった。