突然だが、私は、大学の時に「英米児童文学」を専門に勉強した。
 大学を四年で卒業した人の中には、卒業論文のために、それなりに一つのことを勉強した人も多いだろうが、その後、研究職に就かない限り、適当に卒論さえ書ければ、といった具合に、専門に勉強することを適当に済ませてしまう人も多い。
 私は、何となく大学生活を送った側の人間ですが、でも、「英米児童文学」だけは熱心に勉強しました。というのも、先生のことが大好きだったからです。私が学生生活を送った中で、もっとも尊敬している先生。私より20歳位上なのだろうか、女性の先生だが、彼女は、「英米児童文学」だけに話の枠を決めず、もちろん児童文学であるからには必然と言えば必然なのだが、ただ本を読むとか分析するとかだけではなく、子供の心について、おおいに語ってくれた。教育について、大人の考え方について、その時は気付かなかったが、今思えば、心理療法をした時の話もしてくれていた。そして、必ず話の結論は出さないで「皆さんはどう思いますか?」と、私たちに問いかけて話を終わらせた。毎回彼女の授業のとりこで、私は必死で自分なりの考えをめぐらせて、授業以外でも先生の話したことの内容の意味を考えた。日本の児童文学もよく紹介してくれて、有名な作家とも交流があるからか、時々プライベートな話も楽しませてくれた。
 そんなわけで、私はある面でだけ言えば、割と熱心に「英米児童文学」を勉強した。
 「マザーグース」を知らないと言うと「そういうのを教養がないっていうのよ」と、英米児童文学を専攻している私たちを諭した。そこから何をするわけでもなく、一つだけ詩を教えてくれたが、それだけで、残りの勉強は個人個人にまかされたので、私は分厚い本を一冊買って、マザーグースをたくさん暗記した。その中に、歴史や文化も感じたし、多くの映画にもマザーグースの作品が生かされていたり、会話の中に出てくることも知った。幼い頃、アメリカでうたった曲の中にもマザーグースの詩があることも知った。
 どういう作家が優れているか、何故優れているか、視点を置くコツなども教えてくれたが、その作品の読みとり方は自由であった。
 心に訴えかける先生の授業は、考えることが大好きな私にピッタリで、先生の勧める本は、結構な量だったが、おそらくすべて読んだのではないだろうか。先生が「読んだか」とか、こちらに聞いてくることはなく、これも個人個人にまかされていて、そこも私は気に入っていた。「勉強したい人はどんどんすれば良い、興味なかったら、別にしなくて良いのよ、皆何しに大学に来ているの、どんなに忙しい人でも今しか時間はないのよ、大人になったら自分のための時間なんてなかなかないのだから、好きなことを見つけなさい。」というタイプだった。良く言えばのんびりした(悪く言えば、ただ来ているだけの子も多かった)女子大が故に言えた台詞かもしれない。
 今ではすっかり有名な、アーノルド・ローベル(『がまくんとかえるくん』シリーズ)や、ゆうびんやさんシリーズ、ジョン・バーニンガム、センダック、今江祥智 灰谷健次郎などの著書、他に、アダルト・チルドレンという言葉が世に出始めた頃で、小学生〜高校生が主人公の、それに関した若い人の本もたくさん紹介してくれた。