今回は、「音楽」のカテゴリーに入れようかと随分迷ったが、「音楽」のカテゴリーは、かなり偏った私の趣味嗜好がそのまま出ているので、このエッセーを読んでくれている人も、すっ飛ばしてしまうことがあると聞き、でも今回の内容は、できれば多くの人に読んでもらいたくて、あえて「子供のこと」のカテゴリーに入れることにした。
 皆さん、『悲しくてやりきれない』という曲を知っているだろうか。
 サトウハチロー作詞、加藤和彦作曲の、皆、どこかで一度は耳にしたことがあるであろう曲だ。
 多くのミュージシャンがカバーして歌っていて、奥田民生もそのうちの一人だ。
 2002年に出されたシングルやアルバムに入っていたのだが、それをMDにダビングし、車で何度も聴いた。
 その後、年月が経って、しばらくそのまま忘れていたけど、また「そう言えば、こんなMDがあった。」と思い出して、ある日かけてみました。
 「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない
 このやるせない モヤモヤを だれかに 告げようか」
 このサビの部分を歌うと、多くの人が「ああ、その曲か」と思い出してくれる。その部分だけでなく、その前後も、何と哀愁ただようメロディラインと歌詞だろうか。
 他のミュージシャンがどんな風に歌っているのかは知らない。そもそも最初に歌ったザ・フォーク・クルセダーズがどんな感じで歌っているのかすら知らない。奥田民生は、臭い感じを出さずに、でも哀愁帯びていて、声かすれ気味に、ちょっとダルそうに歌う。その雰囲気が、私にとっては、すごく寂しい夕暮れを思い出すような……どうにも切なくて、胸にグッとくるのだ。
 「いやあ、この良さ、ミツはいくつになったらわかるかなあ。」と思いながら「この曲、良いの、わかる?まだかもしれないねぇ。段々わかってくるのかなあ」なんて話そうとしたら、息子が「何でだろう、涙が出てくる。」と目を何度も拭っている。
 「……!!」
 可愛い……。(笑)
 「良い曲だよね。」と言ってみると「うん。」とうなずく。「何か切なくて悲しくなっちゃう曲なんだよね。」とさらに言うと、「うん。」とうなずいたまま黙っている。
 そういえば、ずっと喋っているような息子が、珍しく静かにシンと、この曲を聴いていた。小学校二年生で、それなりの「悲しみ」を知っているのか?この切ない感じがわかるのか?ただ単に雰囲気にのまれただけなのか?いや、雰囲気にのまれたとしても、その雰囲気を受け止める感性があるということだ。何にしても、どんな風に感じ、理解しているいないに関わらず、息子は、この曲を聴いて、奥田民生の声を聴いて、涙が出たのだ。
 この切ない感じを、自分なりに感じ取り、涙が出てしまう息子の胸の内はどんなものやらと思うと、どうにも愛おしく、成長を感じた出来事でもあり、親である自分の前で、泣くのを我慢させすぎないで育てたことを、心から良かったと思った出来事でもあった。