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中学、高校で、段々と周りの環境に慣れて、友達に恵まれたものの、私は日々演じ続けていた。実は、恥ずかしながら、いまだにその頃の気持ちをすっかりとは消化できていない。乗り越えられていないのだ。
無条件に、どんな自分でも受け入れてくれる親友がいるということが、どんなに素晴らしいことか、生きていく上で欠かせない存在であることかを実感させられている。親友が数人いるだけで、充分素晴らしいと言ってくれる人もいる。その通りだと、彼女たちのことを思い起こしながら、心がほんのりする。
そんな日本での15年間だったが、はてさて、私をそんなに苦しめたアメリカニュージャージーという場所は、そんなに否定しなければならない土地なのだろうか。そんなに「イケナイ」浮いたような場所だったのか?思い出さない方が良いような場所なのか?物心ついた幼い佳澄ちゃんが4年間過ごした場所は、どんな場所だったのだろうか。
そんな思いを胸に、卒業旅行の場所に、ニュージャージーを選んだ。たった一人で。
たった一人とは言っても、一人だったのは、飛行機の中だけなんデスけどねぇ。アハ。滞在先に友人がいたのだ。けいちゃんと言って、中学の時に知り合った彼女もまた幼い頃、ニュージャージーに住んだことがあった。中学一年で声を交わし、友達になった彼女は、お互いニュージャージーの少し離れた場所に、同じ時期に住んでいたことがわかったのだ。彼女は、ニュージャージーの大学に通っていたので、自分の部屋に泊まったら良いと申し出てくれて、私は十日間ほど、滞在することになった。
行ってみると、十五年間の思いが吹き飛ぶようで、就職活動をやめてしまった。
そして、次の年は一ヶ月間、ニュージャージーに滞在。
翌年、阪神大震災に遭ったものの、会社を探し、さらに一年間働いてお金をため、とうとうニュージャージーで暮らすことになった。
そして、けいちゃんの紹介で「成瀬さん」と出会ったのだ。
私たちの第一印象は、びっくりするくらいに、強いものがなく、むしろお互い、あまり良くない印象をもったほどだったのに、出会って一年未満で結婚してしまった。
その後約13年、幸い、結婚生活はまだ続いているけどね〜。あはは〜。
結婚して約半年程の新婚生活を、ニュージャージーで過ごすことができた。
私にとっては、夢のようだった。自分にとって、あらゆる葛藤と思い出を与えたニュージャージーで日常生活を過ごすということは、相当な意義があった。喜怒哀楽を日常生活でしっかりと感じられたこと。英語やアメリカ人、ニュージャージーに住む人たち、習慣、文化、会話のスタイル。それは、言葉で説明しつくせないものだ。あっ詳しいことは「帰国子女の苦楽」を読んでね。むふ。
そういったことがあった上での札幌なのだ。
そして、他の土地ではなく「北海道の札幌」という場所。
ほんの少しの憧れの気持ちがあって、日本で暮らす不安とともに、楽しみな気持ちもあった。