さて、札幌での暮らしを書くにあたって、思ったより長々と私の生い立ちについて書くことになってしまいますが、根気よくつきあってください。
 大学生になって、素晴らしい先生と出会えた。
 この体験も、私にとって一生を変えるほどの大きな出来事となった。
 英米児童文学を専攻したのだが、先生がとても良かった。いつも生徒と距離を置きながら、とても温かみのある人柄。決して人の気持ちに土足で上がり込んでくることもしない。児童文学という分野がまたそうさせるのか、子供の持っているものの素晴らしさ、それに対してどういう見方、接し方をするのが良いのか、人は何を求めているのか、あらゆる視点から考えさせられた。先生が決して答えを言わないことも私には良かった。授業の間中、常に私の頭は働いて、先生の問いかけに対する答えを探っていたのだ。
 大学四年の夏、卒論の出来上がりも見通しがついて、就職活動真っ只中の頃、私は15年ぶりに、アメリカニュージャージーの地を踏むことになる。
 日本に帰国子女として暮らしていた15年間は、誇りも多少あったものの、自分を否定することに心を砕いていた。
 アメリカの教育は、自己主張、自己表現を勧める。自分の考えを自分の言葉で表現しなければ、先生にも周りの友人たちにも認められない。その辺で買い物一つするにしても、そういうことは重んじられる。極端に言えば、それができなければ、人として劣っていると思われてしまうのである。少なくともバカにされるのは間違いない。どんなにうまく喋れなくても、自己主張をしなければならないのだ。自分がどのように感じているか、それを自分だけの言葉で話すこと。人の真似をすることが、いかに恥ずかしいことか、いやがおうにも身に着けさせられていく。
 最初に受けた教育がそんなで、突然日本に帰国するとどうなるか、皆さん想像できますか?日本で育ち、そこで強い自己主張を持っている人、とは少し違うのがわかるでしょうか。日本の環境で少しずつ自己主張の強い自分を知っていくことに対し、自由な自己表現を教育や文化(テレビ等も含みます)を身につけ、それが身についたところで、帰国して日本の環境に放りこまれること。
 自己主張すると浮く。自分だけの物を作りあげると、変だと笑われる。自分だけのやり方はバカにされ、仲間外れにされる。「出る杭は打たれる」をそのまま再現したような日常生活が待っている。
 幼い私にとって、その集団の力は脅威であった。下手に口を出すと、あーだこーだと言われることにとても恐れを抱いて、私はとても口数の少ない大人しい人間になっていった。
 そして、極端に周りの皆に合わせるように努力するにつれ、ニュージャージーでの自分を否定するしかなかったのだ。幼いながらのその葛藤は、今考えても心が痛む。幼いからこそなのか、それまでの自分を否定するという作業は、とても辛いものであったし、一生懸命その辛い作業を日々繰り返していた。