初めて北海道に行ったのは、1997年。夫と結婚を決めて、夫の両親に挨拶に行く時のことだった。
 二月の中旬だっただろうか、北海道の冬真っ盛りの時期だった。
 わあ、すごいなあ。
 まさか、その土地に近々住むことになるとは考えもしなかったので、ただ雪の量に圧倒されて帰ってきた。確かに寒かったし、路上は歩きにくかったし、色々なことを少なからず肌で感じたはずだった。のに、私の記憶の中には「ヘェ、雪がすごいねぇ。」くらいしか残っていなかった。
 
 他のカテゴリーでも書いていたりしてくどいかもしれないが、札幌での経験、感じたことを書く上で、私の過去について書くことは避けられない。
 そんなわけで、少しだけ私の生い立ち、背景について多少書いていくことにする。
 1971年11月、兵庫県宝塚市に生まれた私は、父親の仕事の都合により、アメリ東海岸ニュージャージーに住むことになった。1975年1月、3歳になったところである。
 つまり、物心ついた時には、アメリカニュージャージーに住み、そこが自分の居場所、故郷だと思っていたわけだ。
 それが1978年10月、7歳になる頃に帰国。私にとって初めての外国、という感覚で日本にやってきた。
 帰国してからの私は、幼いながらも自分ではない自分を常に演じ、意識し、苦しんでいた。自分のやり方、表現の仕方、話し方、周りの人との距離感、絵の描き方、持っている物、住んでいた場所までも、すべてを否定された7歳の佳澄ちゃんは、自分の存在を見失っていた。この頃から、再びアメリカに行くまで、私はずっと軽い解離性障害というものにかかっていたらしい。私は多くのことを、帰国当初に喪失してしまったのだ。今までの家族の在り方や、文化と教育、そして多くの友達たち。それを感じないようにしたことで、脳が変な風になってしまったのかなあ。とにかく、この状況に適応しなければと思った私に、脳はそういう指令しか出せなかったのかもしれない。
 中学、高校では、楽しい女子高生活を送ったおかげで、自分を取り戻しつつあったが、今となっては、やはりそこでも演じ続けていたような辛さ、痛々しさが思い起こされる。帰国子女の私を抜きにしなければならなかった付き合い。私はそれなしには、本当は自分ではないのだ。しかしそこで、そういったことにも理解を示してくれる大事な親友が何人かできたことは私の一生の宝だ。