バイキング会場の入り口で出会った親子たちについて、続きです。
 さほど大事でもない程度のことで、そこのお母さんが叱りつけ、さらにそのおばあさんが「そんなんだったら、食べるのやめなさい。」と、前を向いたまま独り言のように言った。耳を疑ったところへ、そこのお母さんがさらに言った。
 「どうして一回で言うこと聞けないの?!そんなんだったら、食べるのやめなさい!ここにもう来なくて良い!帰りなさい!……帰れ!!」
 と、その周辺の人にも聞こえるくらいの声で、乱暴に言い放った。
 隣りで、おばあさんは、その後は黙り続けていた。
 その男の子は、反抗もせず、とても不安そうな顔をして黙ってお母さんを見上げていた。この子は今、どんな風に傷ついているのだろう。その心の中を思って、胸が痛んだ。
 わかるだろうか?何故そのお母さんがそこまで怒ったのだろうか。
 そのおばあさん、つまりそのお母さんの「母親」の存在なのだ。明らかに、おばあさんがそんなことを言った「後」、そこのお母さんの感情的な様子はさらにエスカレートしていた。おそらく、そのお母さんは子供の頃から、その母親にそうやって言われてきたのだろう。「言うこと聞かないんだったら、帰りなさい」と。恐らくだが、今回のように、無表情に静かに平然とそう言ってのけて、当時子供だったそのお母さんは、その態度と雰囲気にひどく怯えたのだろう。さらに、そのお母さんは女の子、つまり「娘」であることで、一般的にだが(個人差はあるので、誤解のないようにして下さい)男の子よりも言うことを聞こうと努力できるし、そのように従うこともできるのだ。ところが男の子は、脳や身体の構造上、性質上、多くはサッと言うことを聞けない場合が多いし、顔色を伺うのが女の子より下手である。だから、つい怒られることをしてしまう。「構って」というサイン以外、わざと怒らそうとしている場合はないが、親の方は「私を怒らせようとしているのではないか」と錯覚して余計に感情的に、ムキになってイライラする場合がある。当然、そのお母さんはそんなことに気づいていないし、何より、おばあさんが恐らく当時のままの対応をしたことで、そのお母さんは、「娘」に戻ってしまった。もしも、おばあさんが「何もそこまで怒らなくても」と思っていたとしたら、そのおばあさんは、そのお母さんを幼い頃に「そこまで」傷つけたことに気づいていないのだ。おばあさんが若いお母さんだった頃、ひどく傷つけたつもりはなくても、幼かったお母さんは、それほど傷ついていたということである。その証拠に、お母さんのその態度なのだ。
 連鎖だろうとほぼ確信した。目の当たりにして、本当に悲しかった。お母さんの激昂する様子は、他人から見ていても不自然で、恐ろしく怖かった。男の子が、父親になった時、自分の子供に向かって、そういう叱り方をするのだろうか。そんな父親をどこかで見たら、私はひどく嫌悪するだろう。
 その後、温泉浴室内で同じ三人を見た。おばあさんにずっとくっついて離れないそのお母さん、所在なさげにウロウロする息子クンを見て、胸が悪くなった。あのお母さんはそうやって、我が息子より自分の母親を優先させることで、子供の自己肯定感をどんどん低めていっているのだ。その男の子は、条件付けの愛情しか知らないことだろう。自分に子供がいるのに、自分の母親である方の家族を優先させることで、その子供にはどんな未来が待っているのだろう。そのお母さんの、自分の母親に対する媚びた表情と媚びた態度、そして、それに満足しているそのおばあさんの表情を見て、心から気の毒に思った。