息子の作った短文から、最後に。
<どんな状況ッスか、それは?……シリーズ>
・「土」の漢字で 土よう日に土をほじくります。
・「草」の漢字で 草だらけのところを見つけました。
・「気」の漢字で 気もちがすごくいいところにいきます。

 色々、ツッコミどころが満載過ぎて面白い。
 ついでなので、宿題に関して少しだけ書きましょう。
 ウチは基本的に宿題は見ません。
 間違いも本人の責任。息子も、宿題をしているところを見てほしくないらしく、間違えても自分の責任だからね、自分で考えるんだよ、と教えてあった。なのに、先生が「宿題を親と一緒にして、見てもらいなさい。間違っていたら、直してから提出しなさい。」と指導したせいで、真面目な息子は「お母さん見て。そうじゃないと先生が怒るの。」と半泣きで訴えるようになってしまった。
 とりあえず、我が家の方針を話して、息子に意見を求め、親子で話し合った結果、宿題をしている最中は見ない、宿題が終わったら見て、明らかにわかる間違いは私が直すよう指摘する、というところに落ち着いた。
 せっかく芽生え始めていた責任感や自主性を、先生の仕事を減らす目的で、先生が奪ってしまっている。情けない。日本中の先生がそうとは思わないけど、多くが、「先生」の仕事に追われて、そういう余裕がないのだろうと思うと、今後の子供たちの思考力、責任感、実行力を教師はどのように育てるのか考えてはいるのだろうか。本当の思考力を、教育者が奪ってしまって、日本の教育はどうなっているのだろう、上辺だけの「バツの少ない子」「良い子」を育てているだけではないかと嘆かわしい。
 ちなみに、私は一応目を通しても、結構間違いを見逃していて、先生にバツされて(息子いはく「ピンされる」そうです)返される。ナハハ。ごめんね。
 でも良いやん、間違いのない人生なんて、心が軟弱になるばかりではないか。間違えたっていう経験、それを自分で確認する経験も、山のように必要じゃないか!
 あっでも、どうしても補足しておきたいことが。もちろんそれぞれのウチの方針なので、「これがベスト」だとは思っていません。実は、私が子供の頃、いつも母親に宿題を見てもらっていたのだが、私が「お母さん、一緒に宿題しようよ」と誘っていたのだ。そうやって親に見てもらわないと、宿題しない子もいるでしょうから、それはそれで良いと思う。もし我が子がそういうタイプなら、私はやっぱりなるべく口出ししたくないけど、でも「教えて」「わからない」と戸惑っていたら、横でベッタリにならずにはいられないでしょう。そこは仕方ないと思います。子供それぞれのタイプがあるのでね。息子は、偶然「見てほしくない」タイプだった。そして、私はそこに、責任感や自主性や思考力を育てるチャンスを見つけたので、そうしているだけです。もしも、宿題見てほしいタイプなら、違う部分にそういうチャンスを見出してそういう部分を育てたいなと思いますよ。子供は「それぞれ」ってことです。なので、その自主性とか責任感だとかを育てるチャンスを、わざわざ教師が奪わないでほしいと思う。