さて、いよいよ、中学生からの友人の話だ。
 これもまた、私にとっては懐かしく早く取りかかりたかった部分である。
 中学からは、神戸のお嬢様学校に通い始めました。大切にされて育ったという意味で、多くの生徒が、お嬢様でした。その中のさらに一部が、本物のお嬢様。愛情本位で育った家庭で、その中でも代々お金持ちの財閥系、歴史ある物を背負ってきた家庭、そんなところのお嬢様が通っていた。そういう子って、特に派手にしておらず、見た目は普通なんですね。まあ派手にしてる子もいたけど。いや、でもね、カツカツで頑張っている家庭もあったと思う。そういう子たちの方が、冷静に周りを見ていたみたい。ちなみに、私は毎日、学校が楽しすぎて、日々舞い上がってました。そういう意味ではお嬢様だったかも(笑)。
 まあ基本的に、皆仲が良かった。そういう家庭環境だからか、あまりいじめなどは起こらないのです。最初の頃は、女子ばかりの慣れない環境に、そういう対象を見出していじめもあったのだが、誰か彼かが止めに入ったり、そういう対象にされる子も、結局友達ができていったりして、仲良しグループで分かれるものの、いじめたりいじめられたりは、中学一年の途中から、高校卒業するまで、私の学年では聞かなかった。
 で、そんな中、出席番号が近いYちゃんとかなり早い段階で親しくなりました。
 中学一年の最初は、五十音順に並んで席に座り、私はその並びで、二列目の一番後ろ。その次が一番前に座るYちゃん。彼女とは、講堂などで全校の集まりがあると隣りになるし、班ごとの行動(その学校では、掃除の時に、班単位で行動していた)の時にいつも一緒だった。Yちゃんは、お父様が脳外科医で、お母様が看護士さんだったと記憶している。彼女は、 お兄さんを亡くし、心に闇を抱えていた。お父様が手術で患者を亡くされた時の、精神的ダメージなど、繊細な彼女には、実はすごくストレスだったと今となっては思う。時々本当に、些細なことのように話すのだが、その内容は暗く彼女の心に影を落としていた。それでもYちゃんは、普段は明るく、思い切りが良くて、面白かった。あらゆることにませていて、こっそり先生に反抗的な態度をしていて、幼稚な私にはちょっとした憧れでもあった。男女関係のことも彼女から色々教わってしまった。ナハハ!!
 ただ彼女は、私と二人きりになりたがった。ずっと今までこのカテゴリーで書いているように、私は「常に」二人、というのがあまり好きではない。一緒に行動するのがいやなわけではないし、仲良しとは行動を共にしたいが、どこでもいつでも、というのはいやなのだ。だから、私はついつい他の友達とも騒いだり手紙を交換したりしていた。でも、彼女は、そんな私に失望していたらしい。中学二年になる前、一年間を振り返っての文集で「親友がいると、嫉妬心を覚えたりするので、いない方が良い」と書いてある彼女の文を見て、すごくショックを受けたのを覚えている。申し訳ない気持ちも起こったが、ずっと二人きりの世界に入るのは苦手な私だから、どうにも仕方ないと寂しく思った。
 クラスが変わった彼女は、私と関わらなくなったが、私は彼女の気持ちが、ずっと心配だった。彼女が他の子と親しくしていると、仲良しができたんだとホッとしたが、中学三年だったか高校一年だったか、怪我で入院した時、彼女のことだから、一人で孤独と闘っていないか、せっせと楽しい内容の手紙を送った。このことを、彼女は高校卒業時にお礼として書いてくれた。そして、彼女は、後に阪神大震災でお母様を亡くされた。
 その前後も、胸が痛むような噂を度々耳にしていたので、ずっと今も彼女のことが気にかかっている。どうか幸せであってほしいと心から願っている。