私の思う母親的なものとは何か。
 これだけの本を読んで、でも声を大にして、世の「親」やってる人、全員に言いたい。
 「気持ちや感情を受け止めること」である。
 なんだ、やっぱり今まで書いてきたことと同じじゃないか、と思うだろう。でも前までは、それが大事だ、と思っていたのだが、それは人間に「必要なものだ」と今は思う。ただ、それが母親でなくても構わない。「自分のあらゆる感情(善悪とは別だと思う)を受け止めてくれる相手」であれば良い。その相手がいないと、その人は感情の一部、或いは全部を喪失してしまうのだ。喜んだり楽しんだりする感情だけではない。否定的な気持ち、つまり泣きたい気持ち、泣いている自分、怒る気持ち、機嫌の悪い自分、苦しむ気持ち、情けない気持ち、自己嫌悪するようないやな自分、こういった気持ちを、人は受け止めてもらわないと、心も体も病気になる。
 それを受け止めてくれる相手が、自分にとっての「母親」の役割をしてくれる相手でもある。そういったことが足りた人は、大人になってからも受け止めてもらいたいという独りよがりな気持ちに貪欲ではない。ただ、人はいつでも無条件に受け入れてもらえることを求めている。結婚相手にも、親しい友達たちにも。それは、マザコンとか甘えとかいうことではなく、人はそうやって、気持ちを受け止めてもらいながらだからこそ、心を強く保っていられるのだ。そういったことを求めているから弱いのではなくて、そういった相手を求め、受け止めてもらっているという実感があって、やっと人間として本当の意味で心が強くなれるのだ。色々なことに向き合っていける。向き合えた人は、人のあらゆる面を受け入れる大きさがある(相性の良さ悪さ、好き嫌いは仕方ないですけどね)。相手の弱さや強さを否定せずに、そのままで良いじゃないかと心の底から言えるのではないだろうか。向き合えない人は、やはり他人の感情にも向き合えない。気持ちや感情を、受け止めてもらえないことが小さいうちは問題行動として出るし、常に小さな迷惑を周りにかけている。それが段々たまってくると、恨みとなり、自分で身動きが取れなくなってしまうか、人に多大な迷惑をかけるような問題を起こす。
 昨今、カウンセラーが求められているのも、そういったすべてを受け止めてくれる相手として、必要だからだ。一部の人だけでなく、多くの人、社会全体が必要としている。
 つまり、これこそが子育ての原点なのだ。わがままを聞くのではない。好き放題させるのではない。でも、子供の話に耳を傾け、その中の子供の気持ちを引き出してやる。これが「必要」であり、子供が親に求め、大人になれば人生のパートナーや仲の良い友達たちに求めることなのだ。これがうまくいかないと、親の方が子供にそれを求め、子供を苦しめる。子供は、親に愚痴を言って良い。しかし、親は、めったに言うものではないのだ。それが水臭いとかいうことではない。当然、親だってロボットではないのだから、感情を爆発させたり、愚痴を言ったりすることもあるだろう。でもそれが子供にとって負担や恐れになってはいけないのだ。子供側が何と言おうと「それが親だから」「親の役割だから」。これを多くの症例で知った。私も、度々自分をコントロールできなくなって、息子に対してムキになってしまい、大喧嘩になっては自己嫌悪に陥るけどね。それでも、親として、精神的に、子供より弱い面は、子供には見せてはならないことを戒めている。子供にとって「精神的に弱い」というのは、子供より泣き虫であったり、子供より愚痴が多かったり、子供より不安定であったりという意味だ。人間臭さは全開なので、念のため(笑)。