(※前回の続きです)
 そうだったのか。私は周りを見て、上手な人のを見て、そういう風に描こうと思ったことがなかった。先生が誉められるように描けたらなあと思うことはあったが、描けないのであきらめて自分流に描いていた。でも……そうなのか!だから皆似たような絵を描けたんだ。しかしまた疑問が出てきた。
 「まだ小学校入りたての一年生なのに、もうそんな風にするの?」
 すると夫。「そうだよ。物ごころついた時からそういう教育を受けているからだよ。」
 ……。
 またまた絶句。こんなマイペース個性派の夫でも、そうやってきたんだ。という思い。夫も窮屈に思っただろう。
 「そうだよ。だから図工で絵を描くのなんか嫌いになっていっちゃうんだよ。」
 そうなんだ。そうだったんだ!
 ああ、何故私は気がつかなかったのだろう!むしろ、こんなに長い間それに気付かなかった自分が、すごーーくアホで間抜けに思えるくらいだ(笑)。
 でも。また疑問が湧いてきた。
 「じゃあ何故、ウチの子は違うの?アメリカに住んでもいないのに。」
 夫「そりゃ、(幼稚園も)キミも、自分の息子にそういう教育をしてきていないからだよ。」
 ……!!ええ?!そうだったのか!ダンナはそれで良いと思っているのか、私がそういう教育をいつの間にかやってしまっていることで、自分の子供に迷惑はかからないのかと聞いた。
 しかし、「りんごを丸いとしか捉えられないような子供はしょうもない。」と言い放つような夫、「最近の若い人は受け身だ。与えられたことをするのは得意だが、自分から何かするのはとても苦手な子が多い。」と嘆いている夫が、こう言ってくれた。
 「それで良いと思っている。皆と同じようにとしている子は、結局クリエイティブになれない。自分自身の発想がないんだよ。俺流を持っている子の方が、大人になっても伸びる。周りの人と同じようにと合わせていたら、その程度の子にしかならないよ。」
 大人の言われるまま「良い子」として生きている人が、結局は自分の頭で考えられない。
 でも、さらに、「私は特別クリエイティブでもないんじゃない?」と言うと、マニュアル通りに子供を育てようとしない、何かある度、自分で毎回考えて自分の答えを出すということ自体が充分クリエイティブだとのこと。
 そうなのか。私流のある人は、それで良いのだ。こういった考え方は、アメリカで受けた教育、身についた文化が大きいと思われる。
 自分で考えること。自分の意見や感じ方を持つこと。人が言ったことの、どの程度を参考にし、聞き流すか、反対だという気持ちを抱くか、そういったことを自分の頭でしっかりと考え、自分の納得する解答を出し、説明できること。決して親の考えや周りの意見ではなく、自分で判断し、それに対して責任を持てる人間でありたい。
 これが帰国子女だった私が母親として、息子に対し、もっとも強く願う大事なことだ。