何故息子の絵は皆と違うのかと、夫に話した。「先生の言うことをさほど聞かずに自分の描きたいように描いているんでしょ?」マイペースで個性派の夫はさらりと言った。
 そこで本を買って読んだ。
 息子は触覚型であるということ。お父さんもお母さんもアナタの絵の良さがわかるし、好きだということ。絵は人それぞれの好みだから、視覚型を好む先生には、あなたの絵の良さはわからないかもしれないけど、はみだすのは心のエネルギーだとお母さんは考えるし、ちっとも悪いことじゃないということ。そういったことを息子に話し、その本の文を読んで聞かせた。息子は恥ずかしそうにしながらも嬉しそうだった。「僕は、触覚型なんだ。はみ出しても良い。キレイに描けなくても良い。」と、何度も自分に言い聞かせていた。
 しかし、私自身の気持ちは、まだ落ち着いていなかった。あの圧迫感を、ちょっとした拍子に度々思い出してしまうようになってしまった。
 あの圧迫感、何も聞こえなくなってくる焦りや不安は、絵一枚ごときで、と誰にもわかってもらえないのだろうか?誰かにこの気持ちを受け止めてもらいたい。しかし誰がわかってくれるだろうか?大げさだと言われたり、いつまでも過去のことを、と言われたりするのではないだろうか。そう言われることで、きっと私は倍、傷つくだろう。人に言うのも怖いし、情けない。けれど、誰かに受け止めてもらいたい。
 とりあえず夫に少し話を持ちかけてみたが、軽く流されているようで戸惑った。やはり、あの恐怖心にも似た日本文化への不安は、誰にもわかってもらえないのかもしれない。いつまでも言っている私がしつこいとだけ思われるのかもしれない。
 しかし、再度、真剣に訴えた。「こんなこと言う私をどう思う?」と。
 夫は「あーそうなんだなあと思う。そういうこともあるんだろうなあと思う。僕にはわからないかもしれない。」と言った。さらに私は食い下がった。「どうして私の絵だけ違ったんだろう?何で皆が同じ絵を描けるのか、描けたのか、それを知りたい。」と。
 すると、夫はこう言った。「周りを見ているからだよ。絵を描く時って、周りを見ながら描くから、同じような絵になるんだよ。」
 「……!!」
 これは私にとって、驚きの発見でした!
 「えっ……。周りを見ながら描いているの?」
 「そうだよ。だから図工の時間なんてつまらないんだよ。」
 またしばしの絶句。
 「……。……。自分が描きたいと思う絵は描かないの?」
 「そういう絵を描くと、先生がうるさいし、誉められる子の絵を知っているから、そういう感じに描こうと思って、周りを見るんだよ。絵の授業なんて技術の評価だったから、つまらないものだったよ。」
 これでストンと腑に落ちた。30年ほどひっそりとなるべく大袈裟に話さないようにしていた私の大きなショックが、それだけで解消された。