その本を読む前のことだったのだが、久しぶりに息子の学校を訪ねる機会があり、教室の後ろに貼ってある絵を見た時に、また30年前、帰国した当初のことがよみがえってきた。
 当時1年生の私が、クラスで与えられた課題で絵を描き、その絵を後ろに張り出された時、「こんなのないで〜」と笑われたこと。そうかな?と周りの絵を見ると、恐ろしいと感じるほどに、皆の絵が似ていた。
 日本の学校に入った時に、皆の頭が一様に黒いことに、ものすごい圧迫感を覚えた。一人ひとりが違うのではない。その時の気持ちと似ていた。皆の絵を、愕然としながら眺めた時の、あの、わーっと圧倒される感じ。教室に一人だけ取り残されたような、自分だけがすごく小さくなってしまったような、大きな不安感が襲った。何故皆の絵はこんなに似ているの?何故私のだけこんなに違うの?そして「違うこと」を誉められた教育だったのに、ここでは笑われて浮いてしまう。それは7歳の私には、重荷過ぎたようだ。どう表現したら良いのだろう、世界が歪んで見えるような、激しい耳鳴りに耳をふさぎたくなるような、立ちすくむような、座り込みたくなるような、息ができなくなるような。圧倒的な不安。あの時の気持ちをずっと抱えてきた。それは、日本文化に対する私の恐れだった。
 たかだか一枚の絵。
 でもそれは、私の気持ちを大きく揺さぶった。この私ではいけないんだ。
 その気持ちをどう表して良いのかわからず、皆に合わせていかなくてはいけない。それがずっと続いたし今も、時々そういう気持ちに襲われて、加減がわからなくなる。
 あの絵が発端であることは間違いない。
 その後、皆と違う絵を描くことを恐れ、皆と違う色の塗り方を周りの友達に指摘されたことで臆病になり、皆と違う物を持つことをいやがった。「皆と違うことや個性を尊重されてきた文化は、日本では間違っている」というショックは、そう簡単に受け入れられるものではなかった。
 しかし。印象的なこととして残っているのだが、息子の絵を見て、その気持ちを、そこまで鮮明に思い出すとは思わなかった。
 何故なら、息子の絵は、他の子の絵とは明らかに違ったからだ。皆のは明らかに視覚型だし、先生にそれを評価されるとわかっている恐らく中間型の子も、何とか視覚型にもっていけているのだ。もしかしたら触覚型の子もいるのかもしれないが、ちゃんと合わせて視覚型の絵として成り立っているようだ。息子のだけ、触覚型全開だ。
 どの絵もそうだった。三種類ほど絵を見たが、先生の「ホラ、よく見ておきなさいよ。アナタの子供の絵は、明らかに違うでしょ。苦手と言ってどこが悪い」という声が聞こえてきそうだった。
 そして、息子の明らかに皆と違う雰囲気の絵を見て、突然その当時の気持ちがよみがえってきてしまった。あの圧倒される感じ。空気がきゅーっとしまっていく感じ。何も聞こえなくなってくる感じ。視野が狭まっていく感じ。
 ああ、どうしよう。笑顔で見始めた私の顔がそのままこわばり、立ちつくして動けない。
 本当に、咄嗟に「どうしよう」と思った。