子供の絵について考え、手に入れた『子どもが絵を描くとき』(磯部錦司著)。
 磯部さんというのは、公立小学校の先生になった後、教授になり、美術教育研究者、作家、実践者の三社の立場から絵画を通して生命観・自然観について独自の視点から追及しているとのことだ。(『子どもが絵を描くとき』最後の紹介ページより)
 本に書いてあったのは、絵を描く子供たちには、視覚型、触覚型、その中間型があると言う。視覚型が47%、中間型が30%、触覚型は23%と少数派だそうだ。(日本ではもっと少ないとも思われている)
 視覚型の子供は、見えるものを見えるようにていねいに描き、それは大人社会に評価される。触覚型の子供は、主観的で感じたままの情緒的表現が見られ、重要な部分を誇張して描いたり、力強い表現が見られるそうだ。触覚型の子供に、視覚型の子が好むような写実に忠実な絵の描き方を教えることはできても、自発的にそういった描き方にはならないとのこと。触覚型の多くの子供たちは、自分らしい表現にいたる以前に劣等感をもってしまい、絵を描く目的や喜びを見失う、といった内容の記述がある。
 これを読んで、ああ我が息子は触覚型なんだ、と思えるようになった。こういった傾向は、小学校中学年以降の子供の絵で区別できるとのことだが、息子は例えば遠足に行けば、「楽しかったお弁当の時間」と、弁当箱を、人や下に敷くレジャーシートより大きく、宙に浮かせて描き、「お風呂のお手伝いをした」というタイトルで、大好きなお風呂を画用紙の半分くらいを埋め尽くすような勢いで浴槽を描いた。それも浴槽の色は紫。そしてその塗り方はすごく力強く、息子の思いが伝わってくるようだった。「今の時点で」触覚型なんだな、と自分たちで思っておけば楽しく、少なくとも先生の言う通りできなくても、気がラクに、取り組めるではないか。
 磯部さんは
 「必ずしも『上手な絵=いい絵』でも、『下手な絵=悪い絵』でもないということです。いい絵とは、たとえばその一つとして、『表現したいものがその子らしく表現できた絵』というように、描いた人や見る人、その人その人によって、何がいいかという価値はさまざまであるはずです。」
 と、書いている。日本の公立小学校教育の「現実」を目の前にして、つい忘れそうになっている私の理想がそこに書かれてあった。
 他にも、たくさん書き抜きたいくらい、磯部錦司さんの『子どもが絵を描くとき』には、子供の感性を大切にせよ、本来自分を表現する喜びである作業、というはずの絵が嫌いになるのは大人のせいだと、多くの箇所で訴えている。