息子が小学校に通い始めて、最初に気になったのは、先生の細やかな指導であった。
 忘れ物も、失くし物も、親がしっかりと見てやってくれという記述が何度もあり、私は大いに戸惑った。私自身が物を忘れたり、失くしたりしやすいのだが(笑)、多くの子供にとってそういったことは多いだろう。それが子供というものだ。問題は、忘れた時にどう対処するかということではないだろうか。そこで子供たちは物の貸し借りのルールを覚え、お互いを思いやることを知るのではないだろうか。失くし物についてもそうだ。失くした時に、「困るね」と親なり教師なりがしっかりと言うことではないだろうか。それはつまり、子供の責任なのだ。忘れ物も失くし物も、そろそろ親の責任ではない。実際、我が息子は、最初の頃、時間割を親とは揃えたくないと言い、宿題に関しても親は見ないでほしいと責任感でいっぱいだった。
 のに。そういう指導が入り、私は戸惑った。息子に聞いてもやっぱり「いやだ。自分でやりたい」と言う。後々、先生から子供に直接「親に見てもらうように」と話があったらしく、「先生に怒られるのはいやだから」と時間割を後からチェックしてとか、宿題を見て間違っていたら教えてと言うようになってしまった。せっかく芽生えていた責任感がまるつぶれである。
 多くのことに、細かい先生の指導が入り、だんだん窮屈に感じ始めた。その頃。
 子供の友達の、お母さんと何度か話す機会があった。彼女は、子供がいじめられるのはいやだからと、奔走している人だ。元々いじめられるハンデがその子供にあるにせよ、私は幾らなんでも気にし過ぎだろうと思い、彼女が意見を求める度に、自分の考えを言った。毎回、彼女は感心し、賞賛の言葉を浴びせてくれた。しかし、その考えを自分の子供に対して持つことがなかなか難しいようだ。何もかもに、遅れを取ることを恐れ、先回りして子供に教え込んでいた。それなのに、私が偏っていると思う日本の教育についての批判的な部分だけ強調されてしまい、さすがの私も聞いていて耳が痛いと思うくらいであった。
 彼女の「自分の子供には、あれくらいさせなくちゃだめだ」「皆と同じくらいの水準じゃなければだめ」といった焦る言葉を聞けば聞くほど、私は息苦しくなっていった。そのうち、その言葉と先生からの圧力で、動悸が激しくなってきて、参観日など行くことも苦痛になり、薬のお世話になるようになってしまった。
 この気持ちは誰にも理解してもらえないのかもしれない。と思い、スクールカウンセラーに、息子のことではなく、思い切って自分のことについて話しに行った。すると「帰国子女や外国人で、日本在住の方々の中に、そういう人を多く知っています。数十年前のことが子供によってよみがえることも、もちろんあると思います。息子さんと、そういうことがある度に話しあっているのだから、私はそれで理想的な親子関係だと思いますよ。」と励ましてくれた。
 励ましてもらえたことと、自分が過去にこだわっていることが後ろ向きで、駄目なことなんじゃないかと思っていた私にとって「気持ちを受け止めてもらえた」こと、がとても良かった。それから動悸は少しずつおさまっていった。