前回も書いたが、私が帰国子女として日本の学校に転入してから、一年半後、さらに転校することになった。
 そこでは、教室でちょこちょこ喋るような友達はすぐにできたが、さほど気が合うわけでもなく、その子とは別に、自宅が同じ方向で、何となく一緒に下校しているうちに仲良くなった友達がいた。Aさんと言って、目のクリクリした、色黒でポッチャリした可愛い子だった。
 彼女は、絵を描くことが大好きで、少女マンガの絵なんか、三年生が描いたとは思えない、まるで、本物の漫画家が描いたように上手だった。服一つにしても、その服のシワからできる立体感とか、動物とかも、デッサンがとても上手で、よく雰囲気が出ていた。彼女の描いた絵をもらって、それを眺めたり、ちょっと真似をしてみたりしたものだった。彼女は手先も器用で、ちょっとした小物とか私にプレゼントしてくれた。
 そのうち、一人のいじめっ子がクラスを我がもの顔で支配するようになってしまい、その子に、多くの女の子が意地悪をされていた。自信がない私もその中に含まれて、よほどのこと以外、言いなりだった。Aさんもその中の一人だった。でも、彼女と私は住んでいた所が近かったので、ほとんど毎日一緒に帰り(と言っても、自宅のすぐ隣の小学校だったのだが)、二人の分かれ道で、なかなかバイバイと別れられずにしつこくお喋りしていたものだった。
 帰宅後も、彼女は度々ウチを訪ねてきては、二人で外に遊びに出たり、彼女のウチに上がったりした。彼女は、感受性が強くて、飼っているペットのハムスターが亡くなった時には、そのハムスターを両手で抱えてその名前を呼びながら、号泣していた。私はどうしたら良いのかわからなくて、ただ一緒にいるだけだった。
 色々と、ちょっとしたことがドンくさくて、歩いていると突然電柱にぶつかったり、溝にハマったり、噴き出してしまうような場面が多かった彼女なのだが、感性が強くて、温かい性格だった。
 その彼女が、ある下校途中に「引っ越すことになったの。」と打ち明けてきた。
 とてもショックを受けた。いじめっ子が支配するクラスで、他の友達を作ることが難しく、彼女しか気持ちを打ち明ける相手はいなかったのだ。彼女がいない学校に通い、一人で下校することを想像するのも辛かったが、帰国した時に別れてきた友達たち、さらには帰国直後に入った小学校から転校する時に別れてきた友達たち、のことを思うと、自分はそういう運命なのかなと薄々感じ始めた頃でもあった。
 彼女が転校してから、小学校内では長い間、親しい友達ができなかった。いじめっ子のイジメはしつこくて、そのイジメを打ち明けて悲しんだり悔しがったりする友達がいないことも辛かった。
 そんな私の逃げ道は、学習塾にできた。