自分が、「帰国子女」であることを宝物だと感じる瞬間は、人を十把ひとからげにせず、個人個人で見ることができるということを自覚する時だ。テレビに出ているような有名人から、身近にいる周りの人々まで、「自分の」見方で判断して見ることができる。そして自分の見方について、自信を持っている。
 私は、実は自分の親について、多くの人が抱えているように葛藤を少なからず持っているのだが、上に書いた点に関しては特に親に感謝している。親自身に例え偏見があったとしても、私にそれを植え付けないでくれたこと。私にはどんな職業だろうと、どんな学歴だろうと、その人自身を見るという点では、自信を持ち、そのおかげでこんなに好き嫌いの激しい私なのに、温かい友人たちに恵まれている。
 さらに、最近わかったことがある。
 これがとても腑に落ちたので、どうしても書きたいと以前から思っていた。書きたいことに到達するまで、しばらくかかるが、根気良くおつきあい下さい。「絵」につながる話で、「そうだったのか!」という強い発見があったことです。
 話が回りくどくなるのだが、まず息子のことから。現在7歳の息子は小学校一年生。
 私が帰国したのも、日本で言う小学校一年生、二学期の途中のことだ。
 自分でも『帰国子女の苦楽』という本に、自分の気持ちをまとめ、「落ち着いた、自分の気持ちに決着がついた」と思っていたことなのに、息子が小学校に通うようになって、様々な苦悩がよみがえってきてしまった。
 これは、ある程度予測していたことではある。幼稚園時代を丸々アメリカで過ごしている私にとって、息子の幼稚園選びは、この地域では幸い、簡単なことだった。「少しでも園側の方針や考えに‘押し付け’を感じるような教育をする幼稚園は却下」ということ。ちょっと独特の個性がある息子を無条件で可愛がってくれて、それをつぶさないようにしてくれる幼稚園は意外とすぐに見つかった。最初の段階でふるいにかけられて、訪ねようと思っていた幼稚園は少なかったからだ。息子の通った幼稚園は、色々な取り組みを心がけていたが、子供の様々な可能性を成長段階に合わせて無理し過ぎず引き出していた。それも「できなきゃいけない」という強迫観念は少なかったように思う。「できる」ことに自信を持たせる意識はあったようだが、「できる」ことだけを目的にしていなかった。そんな幼稚園で3年間を過ごして、息子の個性はつぶされることなく、私自身も気楽に過ごしたいたので、小学校はこうはいかないだろうと思っていた。
 公立の小学校はそもそも、国がカリキュラムを決めて、先生方はそれに翻弄され、子供たちも振り回される。
 ある程度葛藤はあるだろう。そう思いつつ、入学後に、ここまでまざまざと苦悩がよみがえってくるとは、心理学を勉強している私にとっても負担なものになるほどだった。