私の考え方は、「思わぬ所でアメリカ的だ」と夫に言われる。アメリカ生活もあり、元々がマイペースで自分のスタイルをしっかり持った夫、そして物事を柔軟に考える夫なので、話し合いながら、自分の考えをある程度聞いてもらえることができるのは、とても恵まれた環境にいると思う。帰国子女の私は、英語を忘れていても、自分の意識とは別の部分で文化的なことがしみついているようだ。それを理解してもらうのは簡単ではない。
 子供に対する考え方、接し方、家族の在り方、夫婦の関係、教育など、アメリカのテレビや学校で得たものが随分大きいように思う。意識していなかったが、自分の両親と私とは別物で、違う家庭像を思い描く時、何を参考にしているかと考えれば、アメリカの文化だ。しかし、それが日本でなかなか通用しないことも、7歳で帰国後15年間で思い知っている。ので、それを通そうとすると、ものすごい揺れちゃうんですよね。心理学の本を読むことで、「これで良いんだ」と、確信として持っていようというところもある。夫の「世界でたった一つのやり方でも良いじゃないか!」「人と違って良い!」という考えに助けられている。私は、周りの人と違うという意識が強いので、それを認めてくれる夫、いやむしろ私よりマイペースで、人の目を気にしない夫がいてこそ、私は私でいられるのだ。
 そんな夫も、私の「アメリカ式」に多少影響を受けたらしく、結婚12年経った最近、「結婚してすぐに、言われた。」ということを明かしてくれた。それは、夫婦お互いのことを他人の前でけなさないということだそうだ。確かに私にはその意識が強く、夫のことを必要以上にけなしたりはしないし、夫も私のことを人前で謙遜し過ぎたりはしないが、それが私の教育だと言うのだ。そんなことを主張したなんて忘れてしまったけどなあ。
 冗談でも「愚妻」とか言う必要はないし、人前で妻のことを悪く言うなんて、自分の選んだ相手にとても失礼な行為で、そんな奥さんを選んだアナタ自身を低めていることになる。夫婦間のことで、本気で悩んでいることや愚痴なら、信頼できる友人に話せば良いが、照れが邪魔して冗談交じりに自分の結婚相手のことを悪く言うのは、情けなく感じる。私はこの人を選んだのだと、誇りたかく、堂々といたいものです。そりゃちょっとくらいお互いダメな面を認め合った上でのことですよ。
 「照れが邪魔する」ほど、下らないことはないと私は考えている。照れて目の前にいる人に気持ちを伝えないというのは、理解はできるが、いかにも日本的で、私にはどうしても、どうしても受け入れられないし、受け入れてはならないと思っている部分なのだ。照れている人は男女問わず可愛いし、照れる感情が起こるのは自然なこと。しかしそれが邪魔して、わざと悪く言ったり、言わなければいけない言葉を飲み込むのは親子間や夫婦間では不必要、というのが私の考え方。そういうのを聞かされた子供も、「そうか、照れたら相手を悪く言う冗談を言ってごまかすのか」と親を見て覚えるのではないだろうか。私はそういう冗談を、友達から聞いて、不愉快だった。冗談というにはあまりに程度が低く、笑えない。お笑いセンス磨こうよと、内心ツッコミを入れておいた。
 人を尊重するのは、人間として当たり前の行為だと思う。それが夫であれ妻であれ親であれ。子供であれ、です。