さて、そんな息子は、人との別れにとても無頓着だ。サバサバしたタイプなのか、ただのお喋り大好きなのか、親しい人としばらく会えないというような時でも「バイバ〜イ!」と言っているそばから、「ねぇねぇ、お母さん」「それでさあ、お父さん」などと話しかけてくる。多少は寂しいという気持ちはあるようだが、別れ際は何ともサッパリしている。
 お別れしたしばらく後は、グズグズ言ったり、ストレスをためたりするのだが、とにかく別れ際の涼しい顔は、こちらが申し訳なくなるくらいだ。
 ところが、卒園式は違ったのだ。
 卒園するしばらく前から「もうあそこで遊べないのかー。」と寝る間際に寂しそうに言うし、卒園式当日も「もう皆と遊べないのかー。」としみじみ言いながらの登園だった。
 そして、式が終わって教室に集まり、別れを惜しむ。先生が、泣きそうになるのをこらえながら、震える声で「カッコいい一年生になってね。」などと話すのを、親たちは、涙を流しながら聞いているのに、子供たちは、ニコニコお喋りをしたり平然としている。そんなもんだよね、幼稚園の子供って。と思って息子の顔を見ると、様子がおかしい。ソワソワしながら、目に涙をいっぱいためている。数メートル離れていたのだが、ハッキリと潤んだ目とわかり、あっ泣きそうだと思った。そのうち、時々口をへの字に曲げて、涙をこらえている顔をしている。「ミツ、泣いているね。」と夫に言うなり、私も涙があふれてきた。こんなにも感性が育ったのかと感動した瞬間だった。情緒が育ってほしいと、一生懸命向き合ってきた甲斐があった。そのうち、息子は袖で涙を拭いだした。
 最後の挨拶をし、「先生に、ありがとう、って最後にミツ君だけで言いに行くんだよ。」と言った時も「悲しくて泣いてしまうから、行きたくない。」と言った後、決心した様子で、先生と一緒に笑顔で写真におさまってくれた。
 帰国子女の私にとって、日本の幼稚園は、憧れの場所であった。どんなことをし、どんなことを身につけるのか。どんな変化があるのだろうか。お遊戯の存在を、日本に帰国して知った時「そんなの恥ずかしくてできない」と思ったものだけど、息子にとってはどうだろうか。様々な期待と不安とで、息子を幼稚園に送り出した。息子の通った幼稚園は、特別に「○○教育」などと偏った教育に取り組んでいるわけではない。ああいったものは、心理学の面から見れば、どんなに「個性を伸ばす」目的でも、相応に似通った子供たちになるようだ。なので、息子の通っていた幼稚園は本当の意味でそれぞれの個性を伸ばしながら、ある程度の規律も教え、あらゆることに積極的に取り組んでいたように思う。私の心配を拭い、憧れと期待に充分応えてくれた幼稚園だった。こんな幼稚園に通わせることができて、優しい先生方に親子ともどもお世話になって、心から良かったと思っている。