息子が通った幼稚園は、年少さんの時、車で見送ると、靴箱まで代わる代わる色々な先生が通りかかり、お父さんやお母さんと離れがたしの子供たちを、ニコニコ顔で引き取ってくれる。「お母さん、大丈夫ですよ。」と、大泣きするわが子を抱っこして、ニコニコしながら連れて行く様子を見て、後ろ髪を引かれる思いが少しでもラクになったものだった。
 12月になると、駐車場の雪かきが大変なのではないかと、バス通園を希望したが、結局それまでは、ほとんど息子は泣いて別れていた。バスの先生は別にいて、その先生も慣れたもので、息子が泣いていても、ニコニコ快く引き取ってくれた。上手に子供たちとも会話していたようだ。
 年中になると、大の仲良し君のお父さんの転勤のために、大きな別れがあり、息子のどもりがひどくなり、反抗も一時とても強く出たので、先生の所に度々相談に行った。子供の心と一緒に、母親の気持ちまで考え、相談に乗ってくれる優しい先生だった。
 年長では、驚きの成長を、先生が引き出してくれた。行事の度に、頑張るわが子の様子を目にすることができ、年少、年中の頃には、「年長になったらあんなことできるのかな」と心配だったことも、ちゃんとこなし、感動の多い一年だった。
 その三年間ちょっとは、私も先生方に大いに甘えて、心配なことはすぐに相談したし、息子も私に随分甘えた。
 幼稚園での出来事は、いっぱい喋ってくれたし、報告してくれた。
 幼児期に、親に色々「会話」する習慣をつけておけば、思春期まではなかなか風通しの良い会話ができる家庭にできるのではないだろうか。そのコツは、こちらから探りを入れすぎないことだ。もし聞きたいのなら、具体的な聞き方をするのが良いらしい。「〜はどんなだった?」など、子供が行動したこと、授業について聞く。「今日はどうだった?」と聞いても、子供はその漠然とした質問には答えられない。そもそも子供は、先生に叱られたような都合の悪いことも話さない。楽しいことも、きっと大人には面白くないだろうと口を閉ざすことがあるので、とりあえず、こちらは聞く姿勢であると、腰を据えて、でも自然に聞いてみる。親が少し時間があるような「余裕」をあえて見せるのが良い。子供も興奮状態や緊張状態を引きずっていると話さないことがあるので、子供が少し一息ついた時が狙い目だ。食事時。寝る前、楽しい外出時など。楽しいことも、アレコレ質問しながらどんどん掘り下げていくと、会話も広がるし、子供も会話の仕方を知る。さらに、子供のアナタに興味があるのよということを態度で示すことができるので、子供は安心して、都合の悪いことも話し出す。友達にされたいやなこと。先生に注意されたこと。それに対しては、誰が悪いとかなるべく批判をせず、子供がどういう気持ちで言っているのか探って、その気持ちを親が言葉にしてやる。その上で、ちょっとわが子の態度が気になるようなら、何かしら気になることをこちら側からも言う。あまり気にしていないようなら、わざわざ注意することもないだろう。一番してはならないのは、性格の分析だ。それを子供の前で言うと、子供は親の批評に、下手したら一生左右されることになる。
 これらは全て、自己流ではあるものの、心理学で確信を得たことで、根拠はある。
 そんなわけで、息子は、食卓の席で、お風呂の中で、「お父さん!今日ね!」と、夫にもよく喋っていた。疲れやストレスがたまってくると、それを発散させたいようで、ウチで、わーーっと泣いてから、また幼稚園で元気に頑張れるようだった。
 いっぱい甘えたり喋ったりした上で、子供は少しずつ自立していく。親から離れていく。
 寂しいと思うこともあるけど、それを阻んではいけないのだ。と言い聞かせている(笑)。