心理学の話とからんだ話なのだが、先日、ある心理学の本を読んでいて、改めて愕然としたことがあった。
 自分の気持ちを『帰国子女の苦楽』という本にしたことがある。今よりも10年以上前に書き始めた物で、今以上に幼さや表現の大袈裟さ、周りへの配慮のなさが見られる。また、自分に子供ができたせいなのか、はたまた単純に年月のせいなのか、「へぇ、こんなことあったんだ!」「よく覚えてたなあ、私。」「こんな気持ちになったのかあ。」と人ごとのように驚く記述も幾つかある。
 しかし、あの時期に、私の気持ちをああやって書いて整理することはとても大事だったと言える。子供を育てながら、どうしても心理学の本が必要になるほど、子供との接し方、扱い方に困っていた時やそれ以降だと書く時間はなく、子育てはもっと混乱したものになっていただろう。あの本を書いたお陰で、私は次の段階に進むことができ、幼い頃の「帰国子女であった」自分の心のひっかかりをある程度片付けることができた。
 ただ、子供が小学生になる段階で、また当時の気持ちがよみがえって、苦しみがあったり、強い不安に陥ったりすることも多くなってきた。さらに息子が入学後は、かなりの苦痛が伴い、周りの人に助けられつつ、何とか過ごしている。当時の自分といやでも向き合った方が、自分のためにも子供のためにもなるということが今後増えていくのだろう。
 自分の本に書いたことなのだが、7歳になる直前に帰国した直後、記憶の限りでは、空港から出て車の中に乗っている時には既にあった「目の前の薄い膜」が、15年後、再びアメリカニュージャージーの、住んでいた家を見る辺りまで続いた。日本にいる間のその15年、何度も何度も目をこすってその膜を取ろうとしたことがあったし、段々その状態にも慣れてしまったところがある。
 気づいたのは帰国後、やはり空港から家に向かう途中、「あれっ?あの薄い膜がない!」と驚いた。世界ってこんなにハッキリ見えるものなんだ!と感激したのが、その後何度もニュージャージーに飛ぶきっかけとなる。
 これがですねぇ、解離性症候群だって、皆さんご存知でしたか?私、その心理学の本を読むまで知らなかったんです。自分がそういう精神障害をわずらっていただなんて。
 原因は色々な心理的ストレスがあり、家族を亡くしたとか、強烈な喪失体験がそういうものを生むこともその一つだと言います。それほどの喪失体験……?!
 ……そうだったのです。当時は頑張ったり我慢したりして気づかなかったこと。
 でも、「私はニュージャージーに戻らないんだ。ここで生活するんだ。」いう気持ち。
 ニュージャージーでのだだっぴろい世界。私の中で根付いた文化。友達たちとの楽しみ。伸び伸び生き生きとした楽しい生活。そして、家族との関わり方。休日の過ごし方。すべて、私は永遠にあると思っていたものを、「喪失した」という体験をしたらしい。
 自分では何とかやり過ごしたつもりだったし、確かにそれなりに何とかしたけれど、間違いなく、精神に異常をきたした状態であったこと。そして喪失体験であったことが、改めて私にはちょっとした衝撃でした。