幼稚園での、父兄何人かが子供たちと一緒に体験する日。
 そこで、やっぱり「息子」という存在の大きさを思い知る。
 確かに私は子供が苦手だった。いや、今も実は慣れている子じゃないと苦手だ。母親同士うまくいっていたって、その子供が好きじゃないなんてことも、私にとっては当たり前に多々ある。「お母さんとは結構うまくいくのに、子供が好きじゃない」なんておかしい、子供を見ていれば親はわかると言うが、多分そういう場合の私は、その母親の「お母さん成分」とはつきあっていないのだろう。その人が、私の苦手である子供と接するときに発揮する母親成分を見るのは好きではないので、それ以外の面で接していると言える。個人としてつきあっているのかもしれない。他の人は多分違うと思われるので、私はちょっと変わっているのかもしれない。でも子供が好きじゃないんだからしょうがない。好きになれないものを好きにはなれないし、そんな自分を変えようとすると自己嫌悪に陥るばかりなので、私は子供が好きじゃないということは、結構周りに知られている。もちろん、そこの子供のことを好きな場合にしか、そのことは明かしていない。その上でつきあっている親子の親は、やっぱりそんな私を認めてくれていて、ラクなんです。
 小学校に上がる前から私は幼い男の子が苦手だった。乱暴で、親の接し方がそのまま表情に表れたような子が多い。自分が女の子だから、女の子は何となくわかる。でも、女の子特有のベタベタも、物心ついた時から苦手で、「気持ちがつながっていてそれでいてつかず離れずの関係」を築き上げられる子と親しかった。小学生になれば、やんちゃな男の子が苦手で、面白くてなおかつ自分のことをちゃんと見てくれるような優しい子が好きだった。女の子のことは、どんどん苦手になり、いじめられたせいもあり小学校6年生になるまで親しい子はできなかった。
 そんなわけで、子供は昔から、今も苦手。
 でも、幼稚園内での子供たちというのは、ある程度よそいきのこともあるし、年中さん以降なら、社会性を少しは身につけている。さらに、我が息子の扱いにくさに関しては、かなりの上級レベルだ。男の子なのに、すごくお喋りだし、それでいてフザけ屋でやんちゃなところもあるしで、男の子のフザけっぷりにも、女の子のお喋りにも、ある程度ならつきあえる。
 その幼稚園内で、子供たちとの会話をスムースにし、楽しんでお喋りできるのは、息子がいるお陰。子供たちと接するってこんなにも楽しいんだと思う瞬間が何度もやってくる。よそいきの顔をして見せているにしても、反応に裏表がなくて、ラク。幼稚園の雰囲気のお陰もあるだろう。