吉本隆明の話している様子を見て、その中身ではなく、他に感じたのは、おじいさんだなあということだ。80超えているのだから、当たり前じゃないかと言われたらそれまでなのだが、あれだけの考えを持ち、頭を働かせて言語化させるので、もう少し若くても良いじゃないか、と思ったんですね。私の持つ「80超えた人のイメージ」をくつがえしたからなんですね。
 「……でもおじいちゃんなんだなあ。」
 外から見たことに関して言えば、彼の語り口も引き込まれるものがあった。
 ゆっくりゆっくりかみしめながら、考えながら、ウンウンアーアーうなりながら、できるだけ自分の考えていることを正確に伝えようと、あらゆる言葉を、考えながら話していることに、私はいたく感心した。
 大人にもなって、話すのがゆっくりなことを、もたつくとか、イライラするとか否定的な意見を持つ側にいた私は、これで良いんだ、と納得してしまった。気持ちがすとんと落ち着き、もたつく話し方の何が悪いの、とさえ思えた。
 我が息子がどもって話す時、なかなか話が本題に入らない時、イライラしつつも、この子の個性だからと、できるだけ自然に余裕を持ち、待っていたつもりだ。でも、このままの私では大きくなるにつれ、私は待てなくなっていたのではないだろうか。吉本隆明の語り方を見て、これで良いのだと思えて何だかホッとした。そして、この人の話をこんなにも大勢の人たちが聴きにきていること。終わった時、皆が心を動かされた表情で、温かい拍手を送っていたこと。
 考えることについて、すごく刺激を受けた講演だった。
 私はこんな風な人間でいたいなと思わされた。色々なことに関して考え方や意見は違うし、こんなにも、頭が働かないし、繊細ではないし、こだわりもないし、深くは考えられないけれど、こうやってしっかり引っかかって、しっかり考え、自分で自分の結論を出し、それを周りにどう評価されようとも、「自分の言葉で語れるような」それが喜怒哀楽どんな感情であれ、そんな人でいたいと思う。導き出す結論に、私は恐れを抱かず、受け止める勇気を持ち、誠意を持ち、人と接したいと思う。