先日、吉本隆明の講演をテレビで見る機会があった。
 以前から、インターネットのサイト、ほぼ日刊イトイ新聞(以下、「ほぼ日」)で吉本隆明の魅力については、語られていた。夫が大好きなホームページで、子供ができる前辺りから、私に度々、色々なコーナーを紹介してくれるので、私も興味本位で投稿したりなど、楽しんでいた。
 有名であっても、吉本隆明のことは、私はよく知らなかった。ほぼ日のホームページでの彼へのインタビューも、特に読まなかったし、本も読んだことがなく、どういった存在なのかわかっていなかったのだが、ほんの偶然から、テレビで講演しているのを観た時、十数分話を聞いただけで、私は感動で、胸がいっぱいになった。
 その講演は、ほぼ日で、その創設者であり責任者である糸井重里が企画したもので、その内容をDVDで販売している。夫は高額ながらも購入を済ませているので、ゆっくり最初から全てを観ようと思えばできるのだが、とにかく私は何もわかっていなかったので、観るチャンスもなかった。
 その十数分で心打たれたのは、内容ではなく、彼の「考える」ことについての深さだった。内容については、色々な考え方もあるし、すべてが賛同できるわけではない。その後、インタビュー内容を本にした物を読む機会があったが、やはり考え方に関して、特に「共感する!」「大賛成だ!」と思うようなことはない。違うなあ、と思うところもたくさんあるし、夫も「考え方は人それぞれだから違って当然」と涼しい顔だ。しかし。
 その内容よりも、私は吉本隆明という人が、自分の人生を生きる姿勢に胸を打たれたのだ。
 「考える人」なんだ……。すごいなあ……。「考える」ってこういうことなんだ!
 それだけの印象で語るのは、ちょっとおこがましいのだが、彼は詩人でもあるが、思想家であり、哲学者であり、言語学者なんだ。そして何よりも「すごく考える人」なんだな。と思った。
 私は、何でもすぐ考え過ぎてしまう、神経質で面倒くさく、過剰反応するような性格であると、自分のことを卑屈に思い苦しむことがあるのだが、そんな風に自分を卑下することすらおこがましく、次元が違うと思った。このレベルで、この人はひっかかり、感じ、考えるのかと圧倒された。自分がバカバカしく思えた。私って、なんてちっぽけな人間なのかと思った。自分が考え過ぎだとか、過敏で面倒くさい性格だとか、そういうのを気にすることに対して、メラメラと怒りさえ覚えた。私はちっとも考え過ぎなんかではない。むしろまだまだ浅い。比べる次元も違うくらいだ。
 彼が、言葉について考え、宙に浮かんでいる漠然としたものについて考え、自分だけの考え方で、自分の言葉で語るその姿に心打たれた。