どういった経緯で心理学に入りこんでいったかを前回書いたが、最近親が子供を殺してしまうような事件をニュースで聞くにつけ、人の心理について考えずにはいられない。
 動悸がするほどに胸をしめつけられる。子供は信頼するしかない自分の親に、苦しい思いをさせられて、一体どんな気持ちだったのだろうということに思いを馳せて、胸がギュッとつかまれたように苦しくなる。涙が出そうになる。自分の子供がそんな思いをするなんて、想像もしたくない。その子供の気持ちはおそらく、どの子供とも同じように、苦しく、辛く、「何故?」の気持ちが強くあふれ、宙に浮いたまま、息が止まっていくのだ。なんてなんて辛い事件が多いのだろう。
 そしてその母親の気持ちにも思いを馳せる。
 日常的に虐待している人をニュースなどで知ると、心理学を勉強していて「そういう人もいる」「そういう人にも悲しい過去がある」とわかる。他にも、様々な要因を読むにつけ、気の毒だ、救われるものなら、何とかならないものだろうかと思うけれど、正直な気持ち、真っ先に出てくる気持ちは、どうしても「許せない」というのが一番最初の感想だ。頭では色々知識がうずまくのだが、どんな理由があれ、まずは「許せない」と思ってしまう素人の私である。
 でも、日常的な虐待とは別に、突発的、衝動的に殺してしまった母親が度々ニュースで流れる。
 子供を殺してしまったことに関しては、単純に「ひどい」「許せない」が感情として湧き上がるが、普段子供に虐待などしていない人は、思いつめた感じがあり、「母親も被害者なんだな。」ということに、日常的に虐待している人の話より速くにそこまで考えが及ぶ。
 子供が反抗的な時。それが手におえない時。しかもそれが毎日のように続く時。何ヶ月も続いてくると、「子供を可愛いと思えなくなる自分」に愕然とすることがある。愛しさが湧いてこない。苛立って腹が立つばかりで、母性はどこへという自己嫌悪に陥ることがある。自己嫌悪がひどいと、それが悪循環になって、ますます子供が可愛いだとか考える余裕がなくなる。そして、それが突発的、衝動的な殺人にはつながらないというのも事実です。それで我が子をこの世からいないものにしてしまうなんて、どうしてもできない人がほとんどなのだと思います。
 そこをあえて母親の気持ちに沿ってみることにすると。
 母親には、おそらく子育ての苦しさや自己嫌悪を訴える相手がいなかったのではないかと推測される。多少、言う相手はいたかもしれないにしても、真剣に「私、辛いの!」「子供が可愛いと思えなくなることがあるの!」「私っていやな母親なの!」と訴える相手はいたのだろうか。