読んできた心理学の本をたどっていくと、最初は『トラウマ』(ディビット・マス著 大野裕監訳 村山寿美子訳 講談社)だった。阪神大震災を経験し、その後、新聞を読んでいると、そこで、人々は‘トラウマ’に支配されることがあるということを知った。生きている中で、大きな衝撃を受けると、心の傷ができる。そしてそれによって身体に何らかの反応が出てくる。同じような場面に来ると涙が出る、激怒する、頭痛がする、胃腸炎を起こす、足が前に出ない、震えがくる、起き上がれない、自律神経失調症を起こす、など。そしてそれを何とかしようという心理学の専門家、カウンセラーの存在をも知った。
 それが最初に心理学の存在に意識的になった瞬間であり、最初に読んだ心理学の本につながる。でも、大学の一般教養で学んだ心理学は一体なんだったんでしょ。ほとんど、いやまったく覚えていないのが本音です。*そういえば、映画で20歳の頃に、ベトナム戦争の帰還兵の話を観たことがあるが、あれこそがトラウマの代表例なのだろう。
 その後、夫との関係を円滑にするために、男女の考え方、脳の働き方の違いを書いた本をたくさん読んだ。子育てに行き詰まり、子供への対処法をたくさん読んだ。読んでいくうちに、「特効薬はないんだ」とわかったし、こう接すると、結果こんな素晴らしい子に、というカラクリもないことがわかった。家族関係においてもそう。ケースが一つ一つ違い、そう単純に計算ができるわけではない。こうなったのは何故かを考えた時に、その人の背景を知って、そこから原因を見つけることはできる。その原因に関しての共通点は多くある。読んだ者としては、その共通する原因はできるだけ避けたい。が、現実的には、「できるだけ」であって、実際に避けられるのは半分もないかも。まあそれでも上出来だと言えるのだろう。
 他に、私は対人関係において、自分自身に問題がある。いや、大した問題だとは思っていないのが本心だが、とても好き嫌いが激しい。適当に社交性はありますよ。嫌いな人とも適当に喋って、そこそこ盛り上げることさえできる。それに、多くの人とつきあって、その中から好きな人を探すのは得意だ。好きな人はとことん好きなのだ。人の気持ちを想像できる人、物事をきちんと考える人がすごく好きだし、コミュニケーションを大事にする人が好きだ。思い込みだけでなく、別の角度からの発見ができる人が好き。頑張りすぎず、気持ちに余裕を持っている人が好き。それはつまり自分(私)の話を聞いてくれるということにつながるという甘えもあるのかもしれない。でも自分が気に入った人なので、私の方も相手の話もとことん聞く。
 ところが、色々打ち明けてくれた時、私は漠然と「それはこうじゃないか?」「こういうことなんじゃないか?」と思っていても自信がなくて、「ウーン」とうなって終わったり、思いの丈を言葉にできないことが多い。言ったところで、あくまでも自分の意見にすぎない。自分が気に入っている相手が心を開いてくれるのだから、かなり重たい話もあるわけで、そこで私は、何の情報も分けることもできなければ、適切な言葉も見つからないし、自信がない。
 そういったことで、心理学にハマっていったと言える。