息子のどもりの話、今回でやっと終わりとしたい。
 今まで書いた様々なことを考えた結果、考えただけで、私の心は少しずつ軽くなっていき、息子への対応も変わっていった。恐らく考えないようにしていたら、私の気持ちは長い間、常に重くて、悲しみに満ちていたことだろう。その悲しみに気づかないよう息を潜めながら毎日を過ごしていたことだろう。
 夫の意見が聞けた。夫も態度を少し変えて、そんな自分の接し方に自信を持つことができたようだ。
 母の意見が聞けた。自分の体験。子育てのこと。学生時代の友人のこと。幼馴染のこと。
 幼稚園の担任の先生の話が聞けた。息子の何に目を向ける親でありたいかを自分で確認できた。
 幼稚園で、ずっと苦手だと思い込んでいた先生からも話が聞けた。
 幼稚園の子供たちの様子を参観した時に、以前と全然違う目で見られるようになった。「男の子は大変だ」という、それぞれの親の個人的見解でありながら、納得せざるを得ない事実を目の当たりにした。そしてその親たちの堂々とした態度、或いは少し困った表情を見て、親の在り方を考えさせられた。
 親友から、客観的に息子を見た良さを聞いて、ハッとした。
 自分の息子への接し方を改めて考えることとなった。言葉を捉えることの「丁度良い加減」。流して良い所と、本気になった方が良いところ。言葉が大切と言っている夫と私とで、子供に対してはどの程度要求をし、しつけをどの程度にすれば良いかと考えさせられた。何かと頑張っていた息子の気持ちを推し量らずに、ただ頑張らせていたことを見直し、意地ではなく、心からそう言い出すまではゆっくり見守ることにした。つまりお兄ちゃんになりたいと頑張りたい気持ちや努力の方に目を向けるようにした。厳しさと甘えさせるバランス。どこまでが子供の気持ちに大事で、甘えてもらうことが重要で、どこからが甘やかしになるか。
 さらに、心理学の勉強で、何が自分にとって大事で、これからどういうことを勉強していきたいのかをしっかり認識することができた。
 様々なことを考え直し、息子のことをも見つめなおした。
 今後、またそういった問題行動、そしてどもりとして出るかもしれないが、先に書いた本の内容や、皆に支えられたことを思い出して、慌てず自分の思っているベストなやり方を模索しながら子供と楽しく接していきたい。人の成長は、らせん階段、らせん階段。
 ミツ君、ありがとうね。
 キミは、本当に私たち夫婦にとって、神様からの贈り物だよ。どんなやりやすい子供より、宝物。
 このエッセーを書いている間に5歳になったね。お誕生日おめでとう。5年間元気に育ってくれて、そして私たちの子供に生まれてくれて、どうもありがとう。
 *一年以上経った今も、「らせん階段」は私を励ましてくれる言葉です。