子供というのは、何か意味があって、その母親の元に来た、という考え方が私は好きだ。息子は、母性の足りない私を母性でいっぱいの母親にしてくれた。こんな子だとラクだなという期待を裏切って、激しい自己主張をし、泣いてわめいて、子育てはそんなにラクではないことを教えてくれた。反抗期に激しく反抗して、私を心理学の勉強に向かわせてくれた。そして、どもったりすることで、私の子育てに対する意識、そして周りの親たちに対する意識を変えてくれた。
 私には頭でっかちなところがある。それは、自信のなさからきている。元々子供が得意ではなく、どう扱って良いかわからなかった。ので、息子と接しながら学んでいった。そして息子だけではない子供たちをも可愛いと思えるようになっていった。母性を「子供から教えられた」のである。
 また、「こんな風に接したいな」という目標を持ち、頑張って実行していくのは良いのだが、子供の資質、それからそう接したことによって出てくるそれぞれの子供の反応がある。さて、その反応にどう対応したら良いのか。激しい反抗に遭った時に、どう対処すれば良いのか。泣き喚き、怒り狂う息子をどう落ち着かせるのか。まったくもって思うようにならない子供に、どういう気持ちで接すれば良いのか。
 教育関係、発達のマニュアルの本を読むと、「全然その通りにならない」と落ち込んでばかりいるので、私は心理学の本に向かうこととなった。そして、あらゆる知識を少しずつ身につけていった。それによって、自分がその本の通りに動けなくても、周りのお母さんたちを支えられるようになりたいと強く思うようになった。しかし、実際に友人たちが、様々なことを打ち明け、精神的に頼って来た時に、私はまだまだどのように応対して良いのかわからないことが多い。話してくれて、そこから先、一時的にその人が強く苦しむにしろ、「最終的に」その人が前向きになれるために、どのような反応を示していれば良いのか。どう受け答えし、どう導いていけば良いのか。先にも書いたが、これが私の心理学を勉強する上での一番の課題となりそうだ。
 息子がどもったことで、彼は自分のストレスの信号を発してくれた。夫婦である自分たちの関係を見直し、まだお互い知り尽くしたわけではないのだということもわかった。話し合うことはこれからもあるだろう。
 このことで、息子の性格も知らされた。それを肝に銘じておかなければならない。自分とは違う性格であること。自分がたどってきた道と同じ道を歩むわけではないこと。同じことを言われても、違う反応をする人間であること。私と違った面で怒りっぽく、悲しい気持ちをぶつけてきた時、息子の気持ちを想像し、考えながら、それを母親である私は、真摯に受け止めようと思う。気難しく、時には対応が面倒になることもある。うっとうしいと思うこともある自分の気持ちと向き合いながら、日々の生活を送っていこう。
 そして、どもっている息子を気の毒に思うばかりでなく、母親である自分のやり方を情けなく思うばかりでなく、私も堂々としていよう。どもっていても、一生懸命喋ろうとする息子を誇りに思おう。それが私の精一杯の愛情なんです。