息子のどもりについての話が、まだしばらく続きます。
 そういえば、どこかの本に書いてあって、一度反感を持ったことがある。「子供が悪いことをした時、子供に問題行動が起きた時、周囲の人間がその母親を責めるのは簡単です。でもカウンセラーである私たちはそれをあえてしません。」といった内容が書いてあった。それを読んでいた頃の私は、そんなこと言ったって、子供の問題行動を見たら、その親を責めたくなる。と、私は思ったからなのだ。
 ところが、今回のことで、その責められる母親の気持ちが初めて実感できた。
 「母親を責めるのは簡単だ」
 でも、問題は、そこからだ。原因は母親にあるかもしれない。でもその母親がそうなった原因は何なのか。例えば、夫婦間のことかもしれない。例えば、義理の両親のことかもしれない。兄弟や親族のことかもしれない。友達のことかもしれない。近所のことかもしれない。例えば、さらにその母親について悩んでいるかもしれないとすると……。その母親の母親は……とたどっていくことになり、キリがない。この世にいない祖先をたどっていってどうなる。誰を責めるのだ。責めてどうなる。実際、私は人の親になってから、自分の親に、幼い頃に漠然と抱き続けた感情を伝えたことがあるが、それは責めている気持ちで言っているわけではない。「ただ感情に沿ってほしい」だけだ。「そうだったの、悲しかったわね、寂しかったわね、辛かったわね。」それで良いのだ。親に現在の自分の、ここに至るまでの心境をわかってもらうことは、自分の真の成長につながる。息子も、そういう問題行動で「自分の気持ちの何か」を伝えたいのだと、その信号を受け止めることにした。
 それでは何をしなければならないのか。子供に関して。子供を見ていて何か問題を感じた時。変えなくてはいけないのは、起きている現状だ。その問題を落ち着かせるには、何をどうしたら良いのか。その子供の母親を責めず、どんな言葉かけをしたら良いのか。周りにいる子供たちが日々、乗り越えられる程度の葛藤を抱えるだけで済むように、両親が、せめて母親がストレスをもっと助長しないように、心理学を勉強している者として、どんな風に話を聞き、どんな言葉かけをしたら良いのか。
 これが、今後、心理学を勉強していく上で、私の大きな課題となりそうだ。
 さて、夫とよく話し合い、周囲の人々にも相談し、その度に気が軽くなっては、しかし息子の症状を見てまた落ち込み、感情や気分が揺れる毎日に疲れ、追い込まれた私は、幼稚園の担任の先生と話をすることになった。
 連絡し合うノートに少し息子のどもりについて書いていた私に、先生が一度電話をくれたことがあった。「お母さん、辛いだろうなと思ったんです。」と言ってくれた優しい先生だ。何か知識を分けて下さい、と話して電話を切った。しかし、まだ揺れてしまう。誰かに何もかも私の感情を聞いてほしい、息子のことをよく知っていて、良さもわかってくれて、可愛がってくれる人で、専門知識もあって、そして話を聞いてくれる人、私にとってはその先生が救いだった。