ここに載せているエッセーは、大抵2ヶ月〜半年ほど前に書いたもので、今回のテーマも2007年の11月〜12月上旬に書いた物です。でもこれはまだ解決されきっていないこと。すぐに載せることには抵抗があり、1年後位に載せようと思い、今日まで来てしまいました。まだ完全に良くなったわけではない息子のこと、日によって良かったり後戻りしたりを目の当たりにしながら、色々考えさせられたことを載せたいと思います。あまりに長くなって10ページに分けています。もし、この内容について読んでみようという方がおられるのなら、どうか、忍耐強く、最後まで読み続けておつきあい下さい。よろしくお願いします。一年以上前の私が書いた文を、誤字以外はまったく手を加えることなく、そのまま載せてみたいと思います。当時の私の素直な気持ち。現在にも通じている気持ちです。

 息子の‘どもり’が4歳の後半に、一時ひどくなった。
 どもりは、差別用語で、「吃音」と言った方が良いのだという意見を聞くことがあるが、最近読んだ『話すことが苦手な人のアサーション』(平木典子著 伊藤伸二著 金子書房)という本で、当人たちが「愛着がわく」というような理由で、自分たちを‘どもり’だと言っていた。「吃音」では馴染みがない、私たちは「どもって」いるのだと。また、私も息子がそうなっている時、精神的、肉体的な調子の良し悪しのバロメーターにもなったり、そんな息子もまた愛しく感じることがあり、母親としては‘どもり’で良いと思っている。あとは成長するに従い、本人次第だけど。
 息子は、2歳半頃までなかなか言葉が増えなかった。こちらとしても忍耐の時期であった。2歳にもなれば、どんどん話し言葉は増えてくる。……はずだ。しかし、息子は何でもそうであるように、とっかかりが早く、その後ある程度完成するまでがとてもゆっくりだ。言葉もそれと同じで、ちょこちょこ単語や2〜3語文を言ってはいたが、なかなかその種類は増えていかなかった。そして2歳7ヶ月で、突然たくさん喋りだした。そりゃあもう朝から晩まで、独り言ではなく私にずっと話しかけて「そうなの」とかいうだけの相槌では許されない厳しい我慢を強いられた(笑)。
 話し始めの頃から息子はどもっていた。「あ」や「お」で始まる音が特に言いづらいらしく、「あ、あ、あ、あ、あ」と言ってから、やっと単語が話せるような。
 しかし、さほど気にしてなかった。どもっているなあと、何となく思っていたくらい。母も、自分が幼い頃に、近所にそういう子がいたよと教えてくれた。そしてその子も気づいたら普通に話せるようになっていったのよと。
 そのうち、マ行が言いづらいらしく「みん、みん、みん、ミツ君が」と言い出したり、ナ行も、うまく言えないものだから、段々力が入ってきて、舌にまで力を入れるため、舌を突き出して、「d」の音を長く発した後、やっと「なんで?(「だんで?」に聞こえる)」と言ったり。それでもまだ私はのんびり構えていた。