心理学の本を読めば読むほど、親子関係のことは奥深さを増し、自分の信念めいたものは、強くなっていく。あまり実行はできていないけれど、「これだけは言ってはいけない」「これだけはしてはいけない」「こうしてしまった後に、必ずこういうことを言ってあげなければいけない」といったことは、段々とわかってきたし、常にうまくできなくても、肝心のことだけは外さないようにしている。心理学の勉強をする前から何となく「これは言ってはいけない言葉ではないか」と思っていた直感も、当たっていたように思う。もしかして、相手の立場を考えてみれば、人として、当たり前のことかもしれない。
 心理学の著者は、もちろん、それぞれの専門分野があって、人によっての傾向というものもある。それこそ、その人の信念、研究結果、それについてその人が得た情報、そしてその人自身の持つ考えがある。
 しかし何度も書いているように、人である限り、心には必ず経ていくメカニズムというものがある。大人でも子供でも、不健全であるのは「考えないようにすること」であるということなど。それが健全だと考えているなら、「考えることで、自分が自分で導く考えに到達することに、恐れを抱いているから」だ。
 自分一人の身ならそれで良いだろう。しかし、それは配偶者がいたり、子供がいたりする場合には通用しない。
悲しいことに、考えないようにすることで、配偶者との関係は、奥深い所で静かに悪化することも多く、考えないようにすることで、子供を山のように傷つけているからだ。
 考えなくて良いことは、確かにある。先のことを予測して心配するのが一番の例だ。また、自分の力で変えようのないことをいつまでも考えても仕方がない。
 しかし、それで考えるべきことまで考えないのは、多くの周りの人を傷つける。それが夫だったり妻だったり、親だったりすると人生に深刻な影響を与えるし、そこに子供が存在するならば、子供の人生にまで良くない影響が及ぶ。
 いやなことはいやなことなのだ。怒りや悲しみが湧いてきた時、悲しいことを悲しいと考え抜かずに中途半端に乗り越えた気でいると、思わぬ時に、その悲しみが噴出する。噴出した時には歪んだ形となって表れるので、何故そのタイミングで、そんなことで感情が噴出するのかはわからない。そしてそれを解明しようともしないと、根が深くなっていく。また、悲しいことや怒り、心の痛み、体の痛みなどを否定しようとすれば、それは自己評価を下げることになる。自分を否定し、周りがそう思うことを許せなくなる。結果的に人に対して寛容でいられなくなる。人にすぐ怒りを向ける。気持ちは子供に向かったり、夫或いは妻に向かっていったりする。向けられた側にしたら、とても理不尽な向けられ方で。そして向けられた側は傷つき、その傷をまた別の対象へ向けていく。
 連鎖をもっと恐ろしく重たいものだと理解してほしい。