子供の教育に〜が良いと、積極的に取り組む親が多い。いわゆる「良い母親」だ。そしてそれに良い反応を示してあげる良い子供。その中身のないやり取りに、子供はどんな空虚感を覚えるのだろう。教育に良いだなんて、そもそも、「こんな‘良い’ことに良い反応するような子供でいてほしい」という、大人の押し付けである。
 良い反応をしてほしいと願う親は、子供のために一生懸命考えているようで、ピントが外れている。それはつまり、極端に言えば、子供の気持ちは考えていないのだ。子供に対する「教育」なんて、考えた時点で、大人のおしつけなのだ。大人の見栄、欲求、自己満足のための教育であったりする。
 確かに、ナントカ教育には、子供の脳や言動に上手に働きかけるものがある。しかし、それを受けさせないと、そこが未発達になるかと言えば、そういうことではない。親が補えば良いのだ。親が補えない家庭は、ということを思うかもしれないが、私が読んだり聞いたりする限りでは、親が補えないような難しいことはない。その「教育法」を真似ようとすると大変な労力になることもあるが、情緒面のことを考えると、親が親として愛情を持って接していれば、足りないことになるとはとても思えない。当たり前のことを当たり前にやっていれば、遅かれ早かれ自然と身につくようなことばかりだ。
 以前から書いているが、心理学を勉強するにつれ、「早ければ良い」といったものは、特にないと思われる。その子供が興味を示したその時が、一番吸収が良い、という意味で、早ければ早いで、その時期を逃さないで良いとは思うが、わざわざ親があてがうことはない、というのが勉強した結果、得た答えだ。もし、ある教育法を真似ようとしてもできないというなら、自分の生活、そして気持ちの余裕を見直すべきである。何故なら、相当イライラしたり余裕がなかったりするような私でも、適度に子供に与えられたものばかりだからだ。そんなにも難しいことではない。
 しつけ、世間のルールに関しては、社会性が必要で、そういったことは、親だけでは補いきれないことがある。それは例えば幼稚園であったり、保育園であったり、そういったところで、先生や友達と接していくうちに、少しずつ身につけていくものなので、親が追い詰められる必要はない。
 しかし、情緒面、最近言われる脳の発達については、特別な教育は必要ではないと言える。何よりも親の愛情あふれる接し方にかかっているからだ。
 最低限、これを子供に言ってはならないこと、気持ちを分かち合うこと、話を聞くこと、そして喧嘩したり感情をぶつけた後にフォローを入れること、それを親が実行していればそれで良いのだ。
 ナントカ教育にしても、子供に良いとされているものでも、子供には本当にそれぞれ一人ひとりの個性と好みがあることを親はしっかり理解していなければならない。
 極端に言えば、9割の子が喜ぶことでも、あとの1割にとっては、それは苦痛であることもあるのだ。自分の子供の好みと、考えを親はよく話し合い、知っておくべきである。