走っている人の中には、色々な人がいる。
 妊娠した時、街じゅう、急に妊婦さんがあふれたように、夫が走り始めると、ジョギングする人が突然増えたように感じたものだった。まあ皆さんこういう経験はあると思いますが、何か特別に関心を寄せていると、急にその関心事が目に止まるようになり、注意を払っているつもりはなくても、結構多くの情報が入ってくるように感じる。
 夫がしみじみ言っていたのだが「ジョギングやマラソンて、職業を選ばないんだよねぇ。そこも面白いところだよねぇ。」と。
 マラソン大会に行って、確かに、いかにも普段はスーツ姿なんです、っていう会社員風な人もいれば、この人、普段何しているんだろうっていう風貌の人もたくさんいる。夫もそのうちの一人だろう。夫が練習するコースで、髪の毛を赤茶色に染めて、グリグリ強めのパーマを当てている男の人が走っているのを時々見る。なかなか面白い光景だ。これが、結構良いペースで、走り慣れた感じなんですよね。へぇ、こういう人も走るんだ。
 女性のマラソンランナー、ジョガーは、比較的少ないようだが、最近では、モデルでタレントの長谷川理恵、お笑い芸人のエドはるみ、なども日常的に走っていることを知り、ヨシ、頑張ろうという気にさせられる。
 マラソン大会での、親の様子も色々で結構気になりますね。最初は気にしていなかったのだが、一緒に「親子コース」走るんじゃなく、沿道から応援したり、戻ってきた子供に声をかける親を見て、すごくいやだなあと感じることがある。
 「もっと〜〜して頑張りなよ!」「何で最初に〜〜しなかったの。」「最後のスパートもっと行けるでしょ。」などと声をかける母親。或いは「オイオイ!何してるんだ!もっと前だろ!」と叫ぶ父親。どちらもスポーツをさせているからあまり自覚はないのだろうが、客観的に見ると、勉強に対する教育ママ、教育パパと同じだ。子供をどうしたいんだ?!何にしたいんだ?!子供はプレッシャーに応えようと、一生懸命ではあるけれど、「誰のために走っているのだろう」。何のために走っているのだろう。走っても走っても、親は満足してくれない。楽しいのだろうか。走り続けることが、彼らの本当の気持ちからなのだろうか。親は誰のために応援しているのだろう。子供が速く走ることが、親にとってのプライドなのか。勉強しなさい、勉強しなさい、一番になりなさい、良い成績を取りなさい、良い大学に行きなさい、誰々よりいい点取りなさい、と、けしかける親と何ら変わりないように思えて、その場にいるのが心底いやになる。スポーツを通してなら、幼い子供に何でも言って良いのか?この人たちは、走ることを通して、子供たちに何を教えているのだろう。
 こんな親もいた。沿道から応援する子供に対して「お姉ちゃんは走ったけど、アナタは走らなかったから頑張ってない。」と言い放っていた。応援する子は「頑張っていない子供」なのか?
 親子の心理学もついつい考えさせられる、マラソン大会での光景だ。