子供にとって、親の態度の中で大事なことが幾つかあると発見できたこと。
 その一つは、気持ちをその場で分かち合うという共感。子供は幾つになっても、そして生まれた時から、喜びも楽しさも、悲しさも怒りも含めて、あらゆることを親と分かち合いたいものだ。「ちょっと来て!」と言われて行ってみると、親にとっては下らないことでも、子供にとっては、親に知らせて分かち合いたい気持ちがある。ちょっと面倒臭いけど、忙しくても、ただ見に行こう。話を聞こう。その上で、批判をせず、評価をせずに、ただ子供の気持ちに共感してみよう。見てほしいことに対してどういう感情を抱いているのか「フーン」と知るだけで良いのだ。
 どうしても手が放せなかったり、何かに打ち込んでいる時なら「後でね」でも良い。ただ「コレコレが終わってからね」とか、具体的な時間を言って待ってもらうべきである。そしてその約束を必ず果たさなければならない。子供の「ちょっと来て!」「見て見て!」は、子供にとっての発見なのだ。喜びや驚き、恐れかもしれない。何にせよ子供の感情が波を立てて動いている瞬間なのだ。それを認めてやらなければ、子供は自分の感情を親に表現することをあきらめていく。
 また、その時下らなかったからと、次回は適当に返事して流すことがあってもならない。「後でね」と言って忘れることや、忘れたフリをすることもあってはならない。子供は、忘れられたことを何でもないように振舞える。子供自身忘れてしまったように思えて、親は「あっ忘れたのか、じゃあ良いや」と流すことにする場合もある。
 でも。
 子供は覚えているのだ。忘れられたということを。ずっと覚えている。大人になっても思い出す。それは恨みというよりは、辛い感情となっているので、その傷を自ら癒す必要があり、その作業は一人ではなかなかできないものだ。大袈裟ではない。自分の子供に影響する大事なことである。
 なので、お互い忘れたと思った瞬間があっても、その後で「そういえば」と話題に出してみよう。子供は生き生きとした顔で「見て見て!」とそのことを再開するはずだ。もし「もう良いよ」と言ったなら、そこも子供の気持ちを尊重して、納得しておけば良いこと。
 甘やかしではない。
 親の、子供に対する肝心な厳しさはもっと違うところにある。
 そこで、より毅然とできる親であるために、こういったところで「冷たく」する必要はないということだ。