個人的見解で申し訳ないですが、ここのカテゴリーでは、私が心理学の勉強で得た考えを書いていきたい。本からの抜粋もあまりないし、多くの本を読んで私自身が感じたことなので、少し偏っているのかもしれません。しかし、心理学ということから広く考えた親子のことを皆さんに読んでもらいたいと思います。
 心理学の本を読み重ねていくうちに、「良い子」「良い母親」という存在について、つくづく考えさせられる。
 目に見えてわかる虐待に対しても、「自分が悪いから、こんな仕打ちを受けるのだ」と思っている子がほとんどだということなので、それはつまり、良い子にならなければいけないという考えに縛られているわけですね。多分ほとんどすべての子供が、意識的にも無意識的にも良い子にならなくてはいけないと考えているのではないでしょうか。
 見ていて胸が痛んだり、この母親はわかっていないのだなととても無力感に襲われて喋る気がなくなるのが、「良い子を演じている子供を本当の姿だ」と思い込んでいる母親です。あからさまには虐待はしていないわけです。当然親も子もそんな意識はないけれど、何年、何十年後かに、そういった意識に苦しめられてしまう。
 そういった母親は、やっぱり自分も「良い子」だったために、子供にもそれを求めるし、母親という存在になっても、「良い母親」でいたいわけです。
 子供の、我慢強さに気づかない。寂しい気持ちに気づかない。子供ってこんなもんだよなという程度にしか思わない。
 でも、初めての育児の場合、もし元々そういう性格の子だったとしたら、私も気づいていないだろう。できるだけ大雑把に育てて、図太い子にしようというもくろみは、息子のまっすぐな気持ちに、あっという間に打ち砕かれた。身の回りの世話はきちんと対応しても、性格的には線の太い子に、気持ちが丈夫で、社交性のある子に、と、今思えば、私が「母は私にそういったことを求めているのだろう」という誤解から、わが子もそう育てようとしていた反省がある。息子は、期待に反して、私よりもずっと気難しく、扱いづらく、泣き虫で、とてもハッキリと好みを持っている。それは乳児の頃から見られたことだった。そして、そういった性格の核となる部分は親が作るものでもなければ、変えることもできないということを勉強する途中で知り、変えようとするのは、当人の自己否定や、自己評価の低さにつながって、悪循環になることを知った。