『発達とは矛盾をのりこえること』(白石正久著 全障研出版部)から、『大地』を書いたパール・バックについての記述がある。
 「パール・バックは障害をもった一人の娘がいました。彼女は、その娘の手をもって文字の練習をさせ続けていたのです。ある日、娘の右手をとっていつものように文字の練習を始めようとすると、その手が汗で濡れていることに気づきました。(略)‘そのときわたしは、娘を喜ばせようとする天使のような気持ちから、ただわたしのために、とても緊張しながら、自分ではなにもわからないことに一生懸命になっていたことを知ったのです(略)わたしは娘に対するすべての野心も、またすべてのプライドも捨てきり、そして彼女のあるがままを受け入れ、それ以上のことはいっさい期待しまいと、心に誓ったのです’
 パール・バックが語る娘のあるがままを受け入れようとする誓いは、はじめから彼女のなかにあったものではなく、人からあたえられたものでもありませんでした。(略)彼女が見たのは、親の期待に必死で応えようとしていた娘の心であり、それまで母親としての自分さえ見つけることができなかった娘の真実の姿でした」(『母よ嘆くなかれ』伊藤隆二訳、法政大学出版局、訳は筆者白石正久が一部改変 とのこと)
 これは、子供のことを思った時に、親として切実に胸に刻みつけておかなければいけない文章ではないだろうか。親として、子供に何をしてやれるのか。子供にとって良かれと思うすべての言動を、今一度見直す必要がある。
 また、娘の立場からも、よくわかる。無意識に、親の期待に応えたい、親が満足するような言動をしていたいと思う自分。
 そういったことを深く考えず、子供の人生を台無しにしたくない。台無しにしないまでも、そんなことで、苦しい気持ちを味わわなくても良い。世の中には、苦しいことは山ほどあるのだから。その苦しいことの中に矛盾も含まれているだろう。それに素直に向かっていく勇気とエネルギーを持っていてほしい。それには、親の期待や機嫌だけで、子供を縛ってはいけないのだ。
 この本を読んだことも含め、改めて「教育」というもの自体を考えるようになった。
 世の中にたくさんある「○△教育」「□〜教育」。子供が0歳の頃、まだ情報に振り回されて自分の育児に対する確固たる気持ちがなく、どういったものか、本で読んだりインターネットで調べに調べたりしたものだ。しかし、心理学を勉強していると、子供にとって大事なのは、どういった教育が良いか、何を与えるか、という最近言われているようなことではなく、「どういった気持ちで接するか」ということの方が大事だという考えに至っている。様々な教育法が巷にあふれているが、白石正久の書いている文は、私の気持ちをもっと丈夫なものにしてくれた。
 私の思う教育についての考えは、個人的見解にすぎないので、また次回以降、別のカテゴリーに書いていきたい。