5歳になった息子は、「ごっこ遊び」が盛んだ。
 息子の相手をする、ってだけで、自分の時間が取られる上に、その内容が退屈で、無駄な時間、という意識がつい芽生えてしまう。いや、息子は元々「構ってちゃん」なので、結構遊んでやっている方です。でも、この「ごっこ遊び」はどうにも退屈だった。いつもこなしているような日常生活を再現されるので、毎日のことをどうしてまたここでもやらなくちゃいけないんだ、とか、油断するとすぐ頭に浮かんできて、面倒臭い気持ちが出てくる。
 しかし最近、やっとその「ごっこ遊び」を楽しめるようになった。
 何故か?
 それは。自分の子供の頃を思い出したからだ。
 従妹と、「ごっこ遊び」に夢中になっていた7〜11歳の頃。……ということは、従妹は4歳〜8歳だった。男女の違いはあれども、4歳の従妹を相手に、真剣に遊んでいたのだから、その時の感覚を思い出せば良いと思って、色々思い返してみた。
 その世界に入りすぎて、兄や従兄に聞かれて、部屋のすぐ横で笑われたりしたっけ。そうか、そんなに入り込んでいたのか……。私が主役にならせてもらったお母さんごっこに始まり、学校ごっこ。二人が主役の赤ちゃんごっこ。動物ごっこ。お姫様ごっこ
 大抵それぞれのウチがあって、その役になりきっていた。
 そう、「それぞれのウチ」。結局、自分も、日常生活を再現していたわけだ。日々怖がっていること、叱られたこと、しなくてはいけないこと、こうであったら良いなと思うことを演じてみて、なんだかわからないけど、気分が良い。そう言えば、心理学の「遊戯療法」を読んだ時、徹底的に子供の言う通りに遊んでみる、というやり方で、子供の精神的な葛藤や苦しみがどんどん落ち着いていく症例を知り、感心したことがある。子供が遊ぶ時というのは、とても自分本位なんですね。ゲームなど勝敗がつく時にはちゃんとしたルールがないとつまらないものになってしまうが、ごっこ遊びの時には、勝手なルールを作って、その通りにしろと言う。その勝手なルールも折角従っている矢先にどんどん変わっていく。ただ、親は子供と遊ぶ時、大人の考え方、ルール、やり方、を忘れた方が良い。
 「次はこうだよ。」「今ここは、こういう場所なんだよ。」「もう帰るんだよ。」「今はこの日なんだよ。」「この子はこんなことができるんだよ。」「さっきはできたけど、できなくなったんだよ。」
 どんどん変わるそれに、大人はヘイヘイとついていく。
 その中に子供の、日常生活への復習があり、葛藤があり、不安があり、楽しみがあり、願望があるのだ。
 ……と、確か「遊戯療法」とはそんなやり方であった。
 普段、子供は大人に振り回されることが多い。そんなの、決まっている、って当たり前に思っていることが、子供には日々新鮮だったり、知らなかったと驚いたり反抗したり。それがしつけでもあるんだけど、遊ぶ時くらいは、子供の言いなりになっても良い。