息子は、明らかに理数系です。
 いえ、将来を決めてかかっているのではありません。別にスゴイ期待しているわけでもないし、こちらから何もけしかけてもいません。ただ、文字が好きで、その文字も数字から入っていった。それから足し算とか引き算とか掛け算とか、お金の計算とか、勝手に興味を持って、色々聞いてくる。こちらがつきあい良く返事をしてやるお陰か、はたまたそのせいか、何でもかんでも聞けば良いと質問攻めだ。丁寧に答えてやることを、時には後悔してしまうくらいうるさい。で、計算の仕方を聞いていると、そのセンスがどうにも理数系なのだ。理屈っぽい部分もその気があるのだが、何より計算の仕方だ。はあ〜そういう風に捉えるのね、という実感があり、文系の私からしたらいかにも理数系の計算の仕方。
 宇宙のことにも興味があるのだが、その興味の対象は、惑星の名前とその衛星の名前、そして星座の名前、そして何が幾つ分だとか、私にはあまり興味のないことばかり。最近は、からだのことについて興味があるらしく、しみじみと図鑑を眺めていることもある。以前は、決して見られなかった光景だ。一人で静かにしているなんて、本当に一年前まで考えられないこと。*でも、「そればかり」になることはなくなったのも最近の特徴。
 寝る前の本も、選んだと思ったら、全国の地図帳や、別の地図帳の中に書いてある人口、面積などの順位が載っているあらゆるデータに興味あり。鉄道の本とか、道路地図で、高速道路をたどってどこに着くのかペラペラとめくっていったり。
 物語を読むこともあるが少ない。そんな時はホント、もう少し物語を楽しんでよ〜と切実な思いになる。知識というか教養というか、生活していく上で必要な、有名なお話がたくさんある。「○△みたいな話だね。」なんて、知っていることを前提に会話を進めるケースがあるでしょう。そんな話が、日本にも世界にも山のようにある。大学の尊敬する先生が、「専攻を英米児童文学にしているんだったら、マザーグースくらい知っておきなさい。それが教養ってものです!」と、叱咤激励(?)してくれたことが印象的だ。確かにそれがその人の広がり。それにさあ、昔話って常識でしょう?読んでよ!と思っちゃう。
 そんな息子が、プーさんの話をねだることがある。寝る前に、主に夫が読んでくれている。絵本て、幼児向けの物になると、意外と文字が多くて、読んでいくうちに唾がなくなってきちゃう。アゴもくたびれて、口全体が疲れちゃう。でも私は、10歳位まで母に読んでもらっていたことを覚えているので、自分の子供にも読んであげようと思っている。大事らしいですよ、文字が読めても親が読んでやるということ。親が読んでやることで、子供の本への抵抗感が少なくなること。そして10歳頃に再び親への甘えが表面に出てくること。
 そのプーさんの話は、『くまのプーさん』といって、装丁が、とても丁寧で可愛らしく、素敵に仕上がっている。今まで息子が読んでいた絵本より、断然絵は少なめで、文字の方が多い。よくあちこちで見られる「くまのプーさん」ではなく、その話ができたきっかけまでもがちゃんとお話の中に書いてあり、作者の親子のやりとり、そして子供の持っているぬいぐるみを使っての話、が丁寧に書かれてある。今年亡くなった石井桃子さんの訳であり、確かに魅力的な作品なのだ。