「若者の言葉が乱れている」とよく言われますよね。
 私は、‘若者言葉’に関しては、寛大な方です。ホント。笑ったりバカにしたりしているけど、内心は、さほどダメなことだとは思っていません。
 文を書いて、心理学を勉強して、以前は日本語講師の勉強をしていたのに、そんな考えで良いの?と言われても、「別に良いんです」。
 日本語講師の勉強をしていて、何人かの先生と出会ったが、「言葉は移り変わるもので、自分が使っていた言葉とは違う風に、若い人たちは使ったりするけど、それは古くから移り変わっていくものだし、そうやって言葉は生きているものだと思う。」という考えが多数派だった。言葉に敏感な職業の人ほど、現実を受け入れているのかなあと思ってきた。
 そう、確かに、古代から若者は、年を重ねた人に「いまどきの若者は、マッタク……。」という意味のことを言われていたらしい。
 言葉も同じで、自分たちのことを振り返ってみましょう。いつの時代にも、流行り言葉があって、それがメジャーになっていくものもあれば、消えていくものもあった。今、年を重ねた人たちでも、若い頃には流行り言葉があって、それを使うと、さらに年配の方々から眉をひそめられたものなのだ。もっと昔の言葉と今の言葉と比べても、まったく反対の意味で同じ言葉を使っていることもあるらしい。それも当時の(昔の、つまり私たちの言葉に眉をひそめる先輩方の、さらにその言葉に眉をひそめる先輩方たち)若者たちが少しずつ変えてきたことなのだろう。
 さて、私たちも、小学校の頃、『8時だよ!全員集合』を見て、様々に下品な言葉を使っては笑ってきた。ま、今思い返しても、使うことやその言葉自体にあまり深い意味はないですね。ただ、笑える。仲間うちでフザけられる。それだけだったという気がします。そして一方で、大人が眉をひそめないと、「良くない言葉」だという意識もなかったかもしれない。ので、眉をひそめる人もいないといけないのかもしれないですね。
 で、高校生の頃になると、女の子は時代の流行の言葉を使いたがります。私の頃は「鬼のように」とか「妙に」とか「私って〜な人」よく使いたがった。私も使っていた。「〜みたいな……」とか「超〜」も出始めていた。あっ。時代がわかっちゃうか(笑)。まあ、関西の人間なので、「めっちゃ」の方が使いやすかったけど。友達も皆そうだったと思う。そこがちょっと「全国で流行っているから使う」というのとは違った。方言は強し。どこも「とっても」というような強調する意味の言葉は、残りやすいみたいですね。北海道だと「なまら」。最近では、「がば」っていう方言が、佐賀の方で使われるって聞きますよね。。
 自分が面白がって使っていたのを、若い人たちには「そりゃダメだよ。」とは言えません、私は。面白いんだろうな、楽しいんだろうなと思って「理解できない」と言いつつ、内心ほのぼのしている。