A君親子の転勤情報には、何度かハラハラさせられたが、2007年6月に最大の危機(?!)がやってきた。何百人もの異動が社内であると言う。少し覚悟を感じつつ、でもできればいて〜!という願い叶って、異動を免れた。
 やった!年中さんの間もゆっくり一緒にいられるかも!できれば年長さんも!
 しかし、その希望は数ヶ月で打ち砕かれた。
 8月終わり、夏休みが開けて間もなく、夜に電話がかかってきて「転勤決まっちゃったよ〜!」と情けない声で、A君のお母さんが話してきた。
 思わず涙が出そうになったがこらえた。あーとうとうやってきてしまった。
 当人たちの落ち込みは激しく、A君のお母さんはひとしきり泣いてから、私に電話をしてくれたらしい。
 息子にはいずれ話さないといけない。しかし「いずれ」なんて言っている時間がないのだ。電話を受けて10日後が引越しをする日だと言う。もう話さなければ。
 夫と息子にゆっくり話した。また涙が出そうになった。でも一番寂しいのは息子たちだろう。大人は、メールや手紙で連絡を取る手段を知っている。自分たちの気持ちを伝え合う言葉を知っている。寂しかったらメールでも「寂しい」と伝えられる。声を聞きたくなったら電話ができる。こんな気持ちだ、あんなことがあったと伝えられる。
 でも4歳の子供。しかも男の子だ。寂しい気持ちを何とか発散させることができても、お互いの気持ちを伝え合うことはない。男の子って、そういう付き合い方じゃないし。そうだよね、どういう付き合い方って、同じ場所にいて、その場所で違う遊びをしたり、違うことをしていても、何かの拍子に声を掛け合ったり、心細い時にそばに行ったり、心強い仲間なのだ。その相手がいなくなるということなのだ。
 幼児期に、親しい友人というのは、皆さん記憶にあるかもしれません。その後、何らかの形でお別れしたかもしれません。今も近くにいる人たちは幸せです。でも連絡する手段がない人、大抵が「会いたい」と強烈な郷愁を持って感じているはず。それだけ幼児期の友人は、感覚的なものだ。
 息子たちは、離れるまでの10日間、たくさんの思い出を胸に詰めた。どちらかと言えば、そういう思い出作りを見聞きした私たちお母さんの方が、胸にせまるものがあったかもしれない。
 幼稚園で寄せ書きをした日と思われるが、A君はお母さんに「幼稚園の皆と、お別れいやだ!」と泣いたらしい。息子もその日辺りから、帰宅後に猛烈にからんできて、グズグズ言うことが増えた。初めて親子同士でレストランに行った。何度か来たウチにも、引越しの準備で忙しい中、少し遊びに来てもらえた。何を特別にどうしたわけでもないけど、二人は明らかに別れを惜しんでいた。