A君との話はまだまだ続きますよ〜。
 さて、私は私で、大人の好き嫌いも激しい、子供の好き嫌いも激しい、器の狭い厄介な性格を持っている。しかし、A君のお母さんは、とてもサバサバしていてお気に入りだった。サバサバしていると言っても、温かい性格の人だ。よく人のことを気遣ってくれ、それをちゃんと言葉に出してくれる。モジモジしてしまう私をよそにハッキリ言ってくれるのだ。A君にそれがよく反映されていると思う。
 そんなA君親子とお別れなのだ。
 転勤族だということは知っていた。息子が年少の時に知り合った頃から私の方からA君のお母さんに、「転勤族?」と聞いていた。
 私自身が、子供の頃に帰国子女で、結婚前後もアメリカへ行き、そこでできた友達と別れてきたり、札幌で住んだ後もそこの友達と別れてきたり、何度かそういうことを繰り返しているからか、その土地土地でできる友人に、転勤族が多い。地元意識が強い人が潜在的に苦手になってしまったのだろうか。自分の土地を誇らしく思うことは素晴らしい。卑屈よりずっと良い。でも客観的目線もほしい。他の土地の良さや批判されるような所は知っているのかな。そんな風な見方で人と接していくうちに、色々な土地を知り、苦労を知り、執着のない人が良いとか、一箇所にとどまっていても、広い物の見方のできる想像力のある人が良いとか、自分勝手な好みができてしまったようなのだ。
 もちろん自分が残る場合もある。特に結婚してからできた友人に増えてくる。自分が引っ越すのではなく、引っ越される方。残されちゃったような寂しい気持ち。自分はまたいつも通りの日常を過ごす。転勤されると精神的に脱力する。そんなわけで、知り合い、気が合いそうな人にはすぐに聞いてしまうようになってしまった。
 A君は、やはり転勤族だということだった。私たち家族も、いつ今住んでいる土地を離れるかわからないが、少なくとももう何年かはいることは確実だ。A君のお母さんは言った。「でもしばらくは大丈夫よ。」と。しばらくって?
 「1年くらいかなあ。」
 ……1年?!
 1年なんか‘しばらく’なんかじゃなーい!!えー!年中さんになったら別れるかも〜。……などと大いに不満に思ったものだ(笑)。折角気に入った子供同士、母親同士、長くつきあいたいよ〜。と思ったが、A君のお母さんは「でも突然なんだよー。突然言われて、そしたら2週間位でその場を離れなくちゃ駄目なんだよ。」と、その当人たちの苦しい胸の内を語ってくれた。そうか、そんなに唐突なんだ。本物の転勤族ってそうなんだなあ。お別れをたっぷり味わう間もなく、あっという間にいなくなっちゃうんだなあ。できるだけその時が遅くやってくれば良いなあ。と常々思っていたことだった。