怒りや甘えから、「嫉妬」という感情、さらに「人と比べる」ということも考えてみる。
 本当なら、人と比べることほどバカバカしいことはない。子供を見ていてそう思う。が、現実世界では、つい比べてしまうんですよね。あっ私は駄目だなあ。できてないなあって。
 例えばですね、私の理想的な子育てを挙げてみましょう。赤ちゃんの頃から、泣いたらすぐたっぷりと抱っこしてやり、おんぶしながら家事をし、テレビは一切つけずに、クラシックなど聴かせながら、人に預けるなんてことはせず、玩具は極力与えず、与えるとしたら木でできた玩具。着ている物は、手作りの物やいただいたお古。できるだけ様々なイベントに顔を出し、たくさんの母親友達を作って子供同士を遊ばせ、たくさん砂や土で遊んで、体をたくさん動かして、元気一杯。食事も添加物をほとんど使わない食品を選び、毎日3食、必ず全てを手作り。そして子供が要求すれば、いつも機嫌良く色々演じながら遊ぶ。そのうち子供が好きなことがわかれば、2〜3習い事をさせる。幼稚園に通わせるようになったら、自分も働き始める。
 いやあ、驚きましたよ。羅列していて、ほとんどできていないじゃないかと。いや、できていないというより「してない」ですね。誤解をする方もいるでしょうから、念の為に正確に書いておくと、ほとんどやってみたことではある。努力もしてみた。でも、大抵うまくいかなかった。そして同時にこう思いますね。「できるはずがない」と(笑)。理想を高くしすぎると、人間、簡単にうつ病になります。ホントに。私もこれに縛られていると、きっと深刻な育児うつに陥っていただろうなあ。
 で、できないから罪悪感もあって言い訳をしてみたりする。
 上に書いた理想が何故実現できないのか。私の健康状態、体のクセというものがあるし、置かれた環境、それぞれの土地の特徴、つまり現実生活、体のこと、そして精神状態ということが大きな原因になっている。しかしだ。
 上の文を一通り書いてみて思うことは、ここに子供の気持ちはあるのだろうかということである。それが子供にとって良いことなのか。子供目線がない。子供主体で考えてみているのか。「子供のため」ということが実は自分のためであったりするのではないだろうか。どんな教育だって、子供が主体になって作り出しているわけではなく、大人が考えたものだ。それが研究結果であるにしろ、100%の子供に、同じように良い結果を生むとしたら、誰もがその通りにして育てれば良い。そして結果、同じことに同じように反応する似たような子供が育つのではないだろうか。
 同じような結果を生まないから、子供には個性がある。以前も書いたように、ただの差異として、男女の違いもあるし、個別の違いとなれば、キリがないくらいだ。同じ味付けでもモリモリ食べる子もいれば、好き嫌いの多い子もいるわけだ。
 こんなに基本的なことがわかっていれば、大人だって、一人一人が同じ性格のわけがないし、同じことに違った反応を見せるのも、子供と同じだと言える。だから、同じことでも、環境とその人の性格と、健康状態、精神状態により、そして何よりも現実問題、できたりできなかったりだ。できないことを嘆いていても仕方がない。