「怒り」「甘え」からつなげて、「嫉妬」について考えてみることがある。
 「羨む」という言葉もありますね。
 「人を羨む」というのは、あからさまにすると下品だし、マイナスの感情かもしれない。
 しかし、心理学の勉強をしていくうちに、それが自然な感情であることも知る。人を羨むというのは、抑えて我慢しても、抱いてしまう感情だ。それは醜いと思う人もいるだろう。しかし、単純に相手を誉めたたえ、心から尊敬したり、憧れたりする分には構わないのではないだろうか。良いな〜それ、羨ましいわ〜。とあっけらかんと言ってしまえることなら、むしろ表に出してしまった方が、心の中であれやこれやと思わずに済む。
 さて。この「心の中の」「あれやこれや」が問題なわけなのだ。
 単純に誉めたり、憧れたり「良いね」と言っている分には、羨ましいと思う感情はそう醜く汚いものだとは感じないはずだ。何故そこに、醜さや人の心の貧しさを感じるのか。それは「嫉妬」につながる場合があるからではないだろうか。
 単純に誉められない気持ちの中には、大抵「嫉妬」が入っている。「嫉妬」は確かに醜いものだし、その人本人に対して表に出さない方が良いだろう。実はワタクシ、子供ができるまでは「嫉妬」という感情とはあまり縁がなかった。メデタイと思ってくれるとありがたいが、中にはそれこそこんな私に嫉妬して「自分が一番だとか思わないでよ。」なーんて思う人もいたのかも。もちろん、私が一番!!なんて思っているわけがない。私の性格、あらゆる面から見た生活、外見、何をとっても、もっと恵まれている人もいれば、恵まれない人がいる。恵まれた人が良いわけでもなく、恵まれない人が困ったわけでもない。ただ、人を羨ましいと思っても、嫉妬をしなかったというだけなのだ。「だけなのだ」としか言いようがない。だってね、持って生まれたものがあるでしょう?それこそ性格、生活、外見、どうしようもないことってあるでしょう?運としか言いようがないような。そこをあがいてもね、疲れるばかり。さらに卑屈になっていってしまう。
 そして、嫉妬を持つ人がいることを不可解だと思っているわけでもない。子供ができる前でも嫉妬の一つや二つはしたことがある。子供ができると、子供同士見ていてつい……なんてこともあるし、出産後の自分の顔や体の衰えっぷりにウンザリすることはしょっちゅう。嫉妬という感情は、何故抱くのだろうと考えた時、「したくてもできない」という気持ちが根っこにあるからだと思っています。周りを見回してみてもそう。負けん気を出して頑張っている人、端から見ていると「そんな所で負けん気だしてもさあ……。」とツッコミを入れたくなる相手、大抵その相手は、嫉妬の気持ちにかられているのだ。「したくてもできない」という感情に支配されてしまっている。「したくてもできない」という感情は誰にでもある。それを「ああ、私はしたくてもできないなあ」と思って、自分の持っている物の中で頑張ると、自分で自分の感情を受け止められるが、「あの人なんかに負けるものか」と嫉妬の感情にかられると、その感情に支配されて、自分の気持ちに収集がつかなくなる。それは、怒りや恨みにまでつながることがある。
 どんな感情でも、受け止めましょうね。まずは自分が受け止めないと、周りに向きます。