怒りについての話は続く。子供ができてから、怒りを抑えられないことが出てくるようになってきた。
 子供が本当にカチンとくる言い方で、わざわざ怒られたいがためにわがままを言っているように聞こえる時がある。真意がそこにないとわかっていても、どうしても腹が立つ。
 皆さん、心理学を勉強している人を過大評価(?)してはいませんか?(笑)。心理学を勉強していても、得るのは知識だけなんです。カウンセラーなど実践している方の言うことはとても説得力があるが、彼らも別に神様でもない普通の人間。そして私はカウンセラーでもなければ、それ以前に何の資格も取っておらず、専門知識もない。ただ本を読んで、あらゆる心理学士の現場報告を読んでいるに過ぎない。そして、今後、本格的に勉強するようになっても、さらに万が一、いや万が一もないのだが、カウンセラーという職に例えついたとしても、自分の感情というのは、人間である以上、メカニズムとして起こってしまうものなので、自分でコントロールできるわけでもない。ましてや人の心などのぞけるわけがない。人の心を見透かせるのであれば、カウンセラーたちも苦労しないだろう。
 というわけで、私が勉強しているというだけで、驚き、恐れる人がいると知って、こちらこそ恐縮です。
 話を戻しましょう。
 怒りのエネルギーは、本当に疲れる。何分も怒り続けていると、あとでヘトヘトになる。疲れるため、長く怒鳴り続けることもできない。怒った後は疲労と「怒ってしまった」悲しみとで脱力。自分がいやで、口を聞くのもいやになる。それもそれで子供が可哀相。後で謝ることになる。「怒りすぎたね、ごめんね。怒った後でもちゃんと好きな気持ちは変わらないよ。」大抵こんな台詞。だって、真実なんだもん。これしか気持ちは沸き起こらない。子供に対しての精一杯の気持ちだ。

 しかし、怒りを客観的にこうやって考えられるようになったのは、私にとって大きな進歩だ。怒った時、自分がどんな気持ちでいるかということ。それを後から冷静に説明できるようにすること。これだけで、怒りは半減。落ち着くまでの時間も早くなる。
 実はどんな感情でもそう。説明できるようになると、あらゆる悩みの半分は解決される。
 怒りの感情が湧いてきた時、あえてそれを隠すこともないだろう。全部ぶつければ良いものでもない。何が正解かはわからないが、とりあえず、怒りを目の前で表現することも我慢することも正常であるということだ。