『悲しみの子どもたち』(岡田尊司 集英社新書)を読んで、またたくさんのことを思い知った。犯罪を犯してしまう子供たち。中でも、従来の非行少年と違って、最近注目されている「普通の子」に見える子供たち。
 先に書いた『なぜ「少年」は犯罪に走ったのか』(碓井真文著 KKベストセラーズ)にもあるように、脳に問題がある子供も多いという。しかし、そういった子供たちすべてが犯罪を犯すわけではない。やはり親の対応次第で、何とかなるということなのだ。それも、今までの心理学で得てきた情報と同じく「本気であること」が一番の薬だということだ。
 知識として、どんな対応が良いか、どういう対応が良くないか、ということは必要である。親として知っておくことがマイナスであることはない。しかし、いつだって余裕を持って子供にベストである対応をすることが良いわけでもない。マニュアル通りだから、と、一歩間違った対応をすると、親子間にどんどんズレが生じてくる。こうだと決め付けて対応することは決して良い結果を生まない。子供の反応をよく見ること。何を欲しているのか。何を訴えたいのか。その態度や言葉の表面だけにとらわれていては、誤解したままだ。また、親の罪悪感やはたまた傲慢な気持ちから、子供の心を決め付けて対応することも良くない。
 子供の話を聞く。子供が何を考えているのかを必死で考える。そして、自分の心から生まれてくる言葉を投げかける。それが怒りであろうと悲しみであろうと、マニュアル通りでなくても構わないということだ。
 又、時に親を殺した子供が、捕まった後も淡々と留置所などで生活を送っていると、報道されることがある。この本を読むまで、その状況、犯人である子供の気持ちが理解できないでいたのだが、どうやらそれも、単に感覚が麻痺しているだけのようだ。麻痺しているから犯罪も犯してしまうのだ。親を殺すなんてことを心底「平気だ」と思い続けていることなど、子供にとって不可能なのだ。そこに至るまでの子供の心は、ほぼ完全に麻痺しているからこそ、そんな行動を起こし、そして捕まえられた後も、長い間麻痺したままなのだ。一般的に、麻痺するまで、そして麻痺してから犯罪を犯すまでの期間が長ければ長いほど、治療に同じだけの期間がかかるものと覚悟して取り掛かると良いらしい。
 よく親の言うことを聞き、手のかからない子供が犯罪を犯すと聞きますよね。あれも、子供にとっては、親の注目を浴びたいという気持ちが爆発する、といったことが多いようだ。幼い頃から積もり積もって、表現する方法を失い、大事件を起こす。やりやすい子供も、やりにくい子供も、親は子供の訴えたいことを必死になって聞かなければならない。「この子はやりやすい子だから、何とかしてくれるだろう。」だけではないのだ。「やりにくい子ね。うっとうしい。」だけではないのだ。そういう気持ちになっても、一生懸命になろう。
 どんな子供も、父親と母親を欲している。その気持ちに対し、「大丈夫だ」とか反対に「いやだ」とかいう親の感情で、結果的に無視することは、子供の心に深い傷をもたらす。
 それは親としてよく知っておかなければならない。もしも、自分が知らないうちに子供をたくさん傷つけたと知った時。私は心から謝れる親でありたい。