甲本ヒロトの歌詞集が出た。
 これは、甲本ヒロトの歌詞なのか、真島昌利の歌詞なのかどっちかなあなんて、CDを特に確認するわけでもなく、何となく夫と「どっちだろうねぇ。」と聞いていた歌詞。その歌詞集を読んで、そうか、これが甲本ヒロトの作詞だったんだ!と改めて思った曲が数多くあった。
 前に書いた幾つかの曲もそうだが、『NO.1』や『ミーのカー』『シッパイマン』など、私のお気に入りも甲本ヒロトの書いたものだった。
 十代の皆さんには、是非『NO.1』を聴いてもらいたい。「人間らしくありたいだなんて それは人間の台詞じゃないだろ 僕らしくなくても 僕は僕なんだ 君らしくなくても 君は君なんだ」なんて歌詞を聞けば、思春期の頃にはグッとくるはずだ。
 しかし、改めて久しぶりに聴いていると、甲本ヒロトは詩人だなあと感心する。ミーのカーなんかただの言葉の調子で、そういったように音の響きだけで連呼している歌も多くあるが、時々何て深いんだ!と思わせられる詩に出会って感動する。単純なメロディで、歌詞を引き立たせているのかと思いきや、実はメロディはドラマチックになっているように感じる。素朴な歌い方は、歌詞に耳を傾けさせるが、その歌詞を生かし、引き立たせているのは、メロディのドラマチックな展開だ。言葉遊びの歌は、メロディは単純だが、素敵な歌詞を乗せる時の曲は、楽器やメロディが効果的に使われている。
 こういう彼らの曲を、素敵だなと思える私は、いつまでも若い気がするし、こういう曲を作り、歌うそんな彼らはもう私たちよりオッサンなので、その凄みもある気がする。同じ歌詞でも凄みと深みが出てきて、オッサンのメッセージだと思うと、自分が中年になったとか若いとか関係なしに楽しめる。
 ちなみに『シッパイマン』は、忘れ物や失くした物、落とし物が多い私には深い意味など考えない、とても楽しい曲だ。「どうするんだ 知らないぞ〜 シッパイマン シッパイマン 取り返しがつかないぞ〜 あーあああーあーあー」って歌われると、自虐的な思いで笑ってしまう。そして自分の失敗した時の気持ちを上手に言葉にしているなあと感心しちゃうのだ。しかし、感心したところで、忘れ物や落とし物は相変わらず続きますなあ。