心理学の勉強をしていると、やはりどうしても勘違いされるのが、自分の子供も立派に育てているのだろうと思われることだ。自分の感情を客観的に分析し、コントロールする。そして、周りの人たちと上手に距離を取りながら、冷静に応対する。色々な人の心を読み、アドバイスをする。
 ―なああんて、思ってるんじゃないですかあ?
 何度か書いてきたけど、もう一度、念を押しておきます。いずれもできてないことばかりです。「時にはできるし、できないこともある」というのが正確な書き方かしらん。それに私は、本を読んでいるだけで、その中の知識を皆さんに提供しているだけのこと。ま、噂話みたいなもんで「こうなんだって〜」と言ってるだけ。しかし「噂話」と違う点は、どうやら真実であるようだということ。しかもかなり心の琴線に触れるような内容が多いので、辛らつな内容もありますよね。相手のことを思って言ってるのか、自分に向けて言ってるのか、なんだか混乱することもある。
 こういう類の本を読んでいると「こうあらねばならない」ということはないのだなというのが、正直な感想。自分に甘くできない頑張り屋さんが陥る「ねばならない」は、自分を縛りつけ、子供をも縛り付けてしまう。
 結局は、親の本気が子供に響くのだ。戸惑い、困ったり、怒ったり、取り乱したり、そういう人間臭い姿を、子供は本当は見たいのではないだろうか。
 そもそも、私の場合は、どんなに本を読んで納得し、時には実践してみても、子供が理屈の通らないことを言ってグズグズからんできたり、わがまま言ったり、大号泣始めたりすると、あっという間にその本の知識は頭から飛んでいき、感情的になってしまう。あーうまく対応できない!!と嘆いて、そういう自分への自己嫌悪ときたら、相当なものがあった。本のようにできたらという思いが最初は強かった。本のようにしたい、でもできないね、ということに激しい葛藤を抱えて、夫と大喧嘩になったこともある。
 しかし、もっともっとと、本を読み重ねていくうち、やはり「本のように」「本の通り」ではなく、本気で対応できることが一番だと、当たり前のことが分かり始めた。真剣な思いを子供に伝えること、それが「上手な対応」じゃなくて良いのだ。本気だ、必死だという思いで子供と接していると、子供にはちゃんとそれが伝わっていく。
 まあ、そんなわけで、冷静、客観的で、模範的な対応はできていません。できる限りと頑張り、葛藤もしますが、なかなかできません。いつもエラそうですみません。なは。